羽根守のハネブログ

羽根守が思ったことを書いていく、そんなブログです。

読書の秋なので、私なりの「本を読む習慣」について語ってみる

 

 基本、私は本を読まない人間です。しかし、今年に入ってから読んだ本は累計200冊以上あります。ちなみに、この中にはマンガは含まれていません。

 それでは、なぜ、私は本を読まないのに、これだけ本を読んでいるの?

 それは本を読む習慣を作っているからである。

 

 1.本を読めばプラスになるというモチベーションの上がる本を探す。

 

 本を読む習慣を作るためには大切なことは、自分の選んだ本を読んでそれから何を手にするのか? これにつきます。プロから技術をもらい受ける素人の感覚で探せば、自分が読まないといけない本がたくさん見つかるはずです。

 本を読むことは時間の浪費ではなく、時間の逃避、ではなく、時間の投資。ビジネス書であれば失敗を予防するための時間投資、小説であれば心を広げる時間投資、マンガであれば共通話題の時間投資。という考え方で本を読めば、この本を読むことは自分にとってプラスになると、モチベーションの上がる本を探せばまずは本を読むことができます。

 ここで注意が一つあります。モチベーションの上がる本を見つけても、中に書かれている本が難読のものもあります。これでは読む気がなくなり、本を読む習慣がなくなります。この場合、その本は自分に合わない本だったときっぱりと捨てて、別の本を探してください。

 個人的には自分の読みたい本のテーマを決めて、初歩レベル、中級レベル、上級レベルと、三段階で決めるといいでしょう。小説の場合は作家で決めると、興味のある本、デビュー作、人気作。ジャンルで決めると、人気作、初心者向け、興味のある本、という具合に本を探してみるといいでしょう。

 本を読むことで大事なのは、この本を読めば、自分がプラスになる。ちょびっとだけプラスになるものでもいい。全部読まなくても、その中の数冊はきちんと読めばそれでオーケー。これを意識してみましょう。

 

 2.本を読む場所を探してみる。

 

 読みたい本が見つければ、次に大切なのは本を読む場所です。自宅で本を読もうとしても、色んなモノが邪魔して集中して読めないと思います。本を読んでいる時に邪魔するのは、何か別のことがしたいと思う浮気心、テレビ、電話、パソコンなどなど、自宅には本を読む時間をなくす誘惑的なものがいっぱいあります。浮気心を消すためにも自宅から離れた場所で本を読むことをオススメします。

 それでは何処で本を読むのか? 私はもっぱらカフェテリアで本を読みます。私がここで本を読むと決めたカフェテリアが数件あり、そこで本を読むことが習慣になっています。

 ――本にお金を出した。コーヒー代も出した。その出したお金分、勉強してやろうというモチベーションで本を読めば、意外と読めるものです。

 もし、カフェテリアで本を持っていくのあれば、スマホに自分の好きな音楽を持っていくか、耳栓を持って行くことを忘れないで下さい。おばちゃん達の世間話を聞かされる席に座った場合、耳栓があるかないかで本を読む集中力が大きく変わってきます。また、音楽もボーカル曲ではなくBGMの方を持って行くといいでしょう。

 

 3.本を読んでいて気になったら付箋を貼る。

 

 本から学ぶことはいっぱいありますが、読んでいる間はなるほどと思いながら、数日経てば、あれ、なんだっけ? と思い返すことが多々あります。その場合、気になった点があれば、付箋を貼る習慣を身につけましょう。 

 付箋の貼り方は、「これ、学校や職場で言ったらウケるな」と思ったら貼る、「このヒト良いこと言ってるな」と思ったら貼る、「ここがまとめポイントか、あとで読み返そうと」と思ったら貼る。とにかく、付箋が手元からなくなるまで貼ってみてください。

 二度目読む時はその付箋の所だけを読み返して、「もういらないな」と思ったら剥がしていきましょう。

 ちなみに、私は読書ノートを作っていまして、付箋で貼った所はノートに書き写しています。第二の脳みそを作るように書いており、今では100冊以上の本を読書ノートに書き写しています。ホントに読んだ本を自分のものにしたいのなら読書ノートを用意するのもいいかもしれません。

 

 4.それでも本を読む習慣ができないのなら、それは本を読む自体が嫌っているから

 

 私自身、小学生の頃から本を嫌っていました。それは単純に、本を読むことをすすめる社会の風習、読書感想文のために本を読めという押し付けがましい空気のせいで、本を読んでいませんでした。

 本を嫌っているヒトの大半はおそらく小学生時代から存在する悪魔の読書感想文によって、本を好きに読めないという苦しみに襲われているからだと思います。

 残念ながら今の教育は、本の読み方について教えてくれません。

 そのため、書かれている内容の全部を覚えるべきなのか、感想を言えるぐらい熟読しなければならないのか、本を読む習慣のない人間にはマラソンのしたことがないのにマラソンをしろと言われるぐらい過酷なものです。

 しかし、本というのは読者自身が自由に読むものであり、100%読み耽るのもよし、表紙絵だけで買ってもオーケーなものです。私の本の読み方は80%ぐらい理解できたらいいなと思うぐらい軽い気持ちで読んでおり、400ページの小説なら1冊1時間半で読むスピードで読書しています。

 本って考えるよりもはるかにかる~く読むべきであり、小難しく考える必要のないものだと思います。脳回路が焦げるぐらいに深読みせず、目に付いたものを片っ端に目に通すぐらいの感覚で読むといいと思います。

 

 夜が長し秋、ここらで本を読んでみませんか?

 かる~く、かる~く、レジチェッカーで通す程度でいいので何か読んでみてください。

 それでは。

 

「小説家になろう」でデビュー?して半年経って思うこと

 

 □ 「小説家になろう」でデビュー? して半年

 

 ここらで一度、「小説家になろう」で書いた二作の長編小説について振り返ろうかと思います。

 


表現規制のプロット ― 異世界へ転生してチートします ―

 

 電車に撥ねられた異世界転生小説を真似して自殺した少女によって、小説投稿サイトにある異世界転生を扱った小説が検閲されるミステリー小説。主人公、貴崎伸一は自分の書いた小説が少女を殺したという事実を知り、自分の書いた小説に苦しみながら、虚構と現実の間に迷い込んでいく。

 2000年代の広がった少年少女の「心の闇」と「ネット」を組み合わした物語で、もし、2010年代で起きるのであれば、こういう事件が起こるのではないかと執筆しました。表現とはなんだろうかという実験的小説でもあり、ある種のメタフィクションも含め、虚構と現実を行き来する感覚を読者に味わってほしいと書いてみました。

 2014年3月28日公開、6月24日完結。PV9000。

 

 次の長編を書く前に、短編小説の二作を幾つか紹介。


夕暮れのサスペクツ

 

 梨ノ山中学校の旧校舎で不審火が起こり、その中から四人の遺体が発見された。四人の遺体は梨ノ山中学生2年2組の生徒達であった。彼らは映画の撮影のために旧校舎の空き部屋を利用していたが、担任に黙って撮影し、不審火に巻き込まれて、亡くなってしまった。
 2年2組の担任、鮎川は不審火事件の責任を取り、辞職することになった。副担任の小林泰史は鮎川から資料を引き継ぎ、その資料の中から映画のポスターを見つける。そのポスターの中には亡くなった四人と、伏原遊来の姿があった。

 小林は伏原から話を聞こうと、彼を理科準備室へと呼び出すが、事件と何の関係のない櫛川悠里が来てしまう。ところが、カノジョはなぜか不審火事件の話を語りだす。小林はその話がホントなのか疑いながら、カノジョの話に耳を傾ける。

 ユージュアル・サスペクツを元にした事件。元々は呼び間違えた人間が事件の真実を知っていたらどうだろうかというコンセプトで書いた作品です。短編ミステリーならではの不気味な雰囲気と想像の付かない展開を考えるのに四苦八苦した作品でもあります。しかしながら、反省する所が多々あり、この失敗をこれからの執筆活動を活かしていこうと思います。

 2014年、7月6日公開。PV656。

 


21

 

 体重計をにらめっこして、左右に揺れる数字と向きあう。体重が減れば両手をあげて喜び、体重が増えれば肩を落として悲しむ。ジブンの今の体重を知るということは一喜一憂の勝負の時である。だが、その体重が減らなくなってしまったらどうなるだろうか?しかも、それが過酷な運動して食事制限もした上で、体重が変動しないのであれば、どうだろうか?
 
 この話はそんな不可解な現象と出会った女性の話だ。奇妙なダイエットをしたカノジョは、突然、体重が減らなくなった身体になってしまった。なぜ、体重が減らなくなったのか、と、疑問を覚えたその時、カノジョにある数字が目に入った。

 “ 21 ”

 カノジョは21という数字が時間などに隠れて、ジブンに付きまとっていることに気づいていく。

 

 ホラーものは苦手だというを実感した作品。まあ、奇妙なダイエットそのものにムリあったんじゃないかというのが私の意見です。一つ一つ丁寧に書き上げることで不気味さを表現する文章の技法を身につけたいと実感しました。

 2014年8月9日公開、PV391。

 

 それでは二作目の長編を紹介します。

 


ギルコさんは欺けない

 

 交渉バトル×異世界ファンタジー=ギルドマスター小説!?

 オルエイザ大陸の未開拓地方アドセラにある森林の村“ ラドル ”。
 “ 異世界 ”へと続く森があると言われている村に、一件のギルドがあった。
 ギルド『クローバーエース』は村長から村の開拓を請け負ったギルドであり、そこにいるギルドマスターはどんなアイテムでも鑑定できる“ 審美眼 ”の能力を持っていた。
 
 無職の冒険者“ リッツ ”は妹の“ ルル ”と共にラドル村につき、地図を売るためにギルドへ向かった。
 訪問した先のギルドで彼を待ち構えていたのは16歳のギルドマスター、“ ギルコ・ギルミー ”であった。


 RPGのクエストを与える側であるギルドマスターがクエストをこなしていくラノベファンタジー小説
 ギルコさんは冒険者と交渉を重ねていく中で、交渉の意味を考えていく。
 ――交渉とは駆け引きか? それとも、出し抜くものか? はたまた、お互いの要求をすり合わしていくものか?
 交渉を武器に戦う少女は、厳しい決断を迫られていく――。

 

 交渉をテーマにした中世ファンタジー風ライトノベル。剣と魔法の世界でギルドマスターが主人公にしたらどうなるのだろうかと思ったのがコンセプトで、前々からテーマにしたかった交渉を組み合わしたら、この小説が出来上がりました。

 この小説の裏テーマは”欺く”であり、読者を騙すことを念頭に置きました。そのため、最後に仕掛けた大どんでん返しは誰にも見破れないと思います。どんなどんでん返しかは読んでからお楽しみに。

 なお、ギルコさんの物語はこれからも続きますが、私が手がけるのはここで一旦おしまいにします。

 2014年7月21日公開、9月28日完結、PV4811。

 

 とまあ、小説家になろうで小説を書いて6ヶ月、色々とわかったことがあったので書いてみます。

 

 ・ 基本読まれない。

 

 小説でなろうで小説を書いていますと言っても「ああ」と言われるだけで誰も読まれません。ランキング上位にある小説によってなろうの小説はこんな小説なのかと満足し、他のネット小説を探すヒトはいません。

 ネット小説の大半は未完成であり、誤字脱字は当たり前、小説の雰囲気も何一つできていないというのが基本です。ただし、読者に俺はこうなんだという気持ちは伝わってきます。

 ですので、自分もそういうネット小説を書いているのだなと自覚した方がいいと思います。

 

 ・ 一度書いた小説は時間を置いてから読み返す。

 

 完成した小説ほど誇らしいものはありません。しかし、その小説を急いで他にヒトに見せてはいけません。自分の書いた小説は誤字脱字だらけで、言葉の表現の使い方も間違っていると思ってください。時間を置いてから再び読み返して、「これ出していたら、バカにされていたな」「うわぁ、こんな恥ずかしい所」と、自分の見落としていた所を反省しながら文章を推敲してください。

 見直しをしない小説を読者に見せることは、一度地面に落ちたおむすびを食わせるのと同じくらい失礼なことだと思います。とはいえ、私もよく見直しをせずにブログを書いていることもあるので、ちゃんと見直しをしないといけないと反省しています。

 見直しをする時、自分の書いた文章を減らす方向で見直しをすれば、引き締まった文章になるので、おすすめです。まあ、世の中には友だちと話していると感覚で書いている小説も好きなヒトもいるので、ダラダラな文章をそのままにしておくのもひとつの手です。でも、客観視する地の文は引き締まった方がカッコいいので、そこは短く見たままを教えましょう。

 

 ・ PVは飾りである。

 

 なろうで小説を書くのならPVは飾りと思うことです。検索でたまたまウェブサイト上に出て、謝ってクリックされたのだと思ったほうが精神衛生的に安心します。

 

 ・ 作家が宣伝するよりもキュレーターが宣伝した方を選ぶ。

 

 作家が面白い小説ですというよりも、読者が面白いと言った方が面白いと感じるものです。なので、キュレーターの方がおられましたら、私の小説を宣伝してください。切実です。お願いします。

 

 ・ スキがあった方がなぜか読まれる。

 なろう系小説が面白いのは作家が一生懸命、設定や世界観を考えたけど、何処か詰めの甘いガバガバ設定だと思います。物語の雰囲気を出そうとして色々と書きすぎて笑いを呼ぶこともあれば、余計な一言を付け加えたことで世界観が台無しになる所もあります。

 小説を書く方は、モノを書いている間、頭がトランス状態になっているので、そういう間違いを見つられないのも、やむを得ないところもあります。校閲方法を身に付けるか、小説を呼んでくれる友だちがいれば、そういう間違いは少なくなる(文章の間違いはゼロにはならない)と思います。

 でも、結果的には読まれるからそれでいいかも。ただ、そうなると王道が書けなくなるので気をつけましょう。

 

 □ これからの執筆活動について

 

 小説家になろうで半年しか活躍していない私が言うのもなんですか、小説を書くことは楽しいと思い始めています。

 小説は誰かに読まれるモノであり、その誰かに文章で書いた以上のモノを伝えなければなりません。文章は二次元でしかありませんが、読んでいる側がその文章を取り入れることで、三次元、いや、時間を超えた四次元空間を感じることができます。私もそういう本に出会ったこともあり、一度は筆を折っていた時もありましたが、再び筆を取ることを決意しました。

 半年の間で、15万文字、21万文字の長編を立て続けに書いてきました。疲れることをやってきたなと思います。ただし、「なろう」のランキング上位の小説は100万文字以上! なんていうかそこまでネタがあるのだろうか、他の小説を書いて自分の引き出しを増やさないのか、と思う所は多々ありますが、大長編の大河小説はそれぐらいありますので、一つのモノに長く書いていくのも作家の魅力の一つかもしれません。

 

 小説は読まれるもの。多くのヒトに読まれるためには、これからも面白い小説を書いていきたいと思います。

 

 それでは、次の作品でお会いしましょう。

 

1ヶ月遅れの『アヴェ・マリアのヴァイオリン』

 

 □ 『アヴェ・マリアのヴァイオリン』を読んだ理由

 今日のこの一冊は『アヴェ・マリアのヴァイオリン』、夏休み読書感想文のお題に出ていたこともあって一度は読んでみようとしていたが、なかなか読む機会がなかった。飛び石連休ということで読む機会が生まれ、一読してみた。

 

 ・ 読書感想文の課題図書としてレベルが高すぎる。

 

 『アヴェ・マリアのヴァイオリン』がどんな内容かは中身を見るまでわからなかったが、登場人物を見た瞬間、「あ、これは、難しい読書感想文になっているな」と思った。なにせ、この本はアウシュビッツ強制収容所にいた少女の物語だからだ。

 物語のあらすじは、日本人の少女あすかが手にしたヴァイオリンは、実は、アウシュビッツ強制収容所にいた少女ハンナのものだと知り、そこからハンナの半生について語られる物語へとなる。

 アウシュビッツ強制収容所と言えば、第二次大戦中、ユダヤ人大量虐殺や人体実験場として名を知られている場所である。

 ユダヤ人であるハンナ・ヤンセン一家はドイツ軍に捕まり、強制的にこの収容所へと連れて来られた。音楽の才能があったハンナはドイツ軍の音楽隊に所属し、最高の音楽を奏で続けなければならない、というのがこの本のストーリー展開である。

 正直言って、高校生がこれを読書感想文で書くのはキツイ。アヴェ・マリアのヴァイオリンを手にしたあすかという立場でこの話を聞いた側として書くのか、それとも、ドイツ軍の迫害を受けたハンナの立場になって書くので、だいぶ感想が変わってくる。

 主観的に書くか俯瞰的に書くか、個人的には俯瞰的に書くしかないと思う。というのも、過酷な運命にさらされるハンナについて書くのは難しい。飢えを知らない現代の若者が戦争の俘虜(ふりょ)としての立場を書いても、うわべだけ作っているお涙頂戴レベルの感想になってしまう。ここは、あすかの立場になって、ハンナの話を聞いている感想を書くのがいいだろう。

 ここで大切になるのが、第一話のあすかを読んで、どれだけ自分があすかになりきれるか。何も知らない無垢な少女あすかとなって、アウシュビッツ強制収容所の惨劇について、どのように思うかがキーとなる。

 悲しいや苦しいという言葉では言い表せない、戦争の重みをどう表現するか。これがこの読書感想文の狙いだと、私は思った。

 

 ・ 1ヶ月遅れの読書感想文

 

 読書感想文の道標を9月半ばでやったところで、誰も参考になるはずがないが、『アヴェ・マリアのヴァイオリン』を読んだ記録として書いてみた。

 個人的に、この本を誰かに勧めたいのなら、友達同士ならノー、職場上ならイエスというべきか。この本を読んでいて指の爪が剥がれるような痛みを覚えたので、この本を読むのなら覚悟して読んだ方がいいだろう。

 

 それで、読書感想文のコピペ文章は何処?

 この本に関して、コピペ感想文じゃ先生から怒られますよ。ホントに。

 

アヴェ・マリアのヴァイオリン (単行本)

アヴェ・マリアのヴァイオリン (単行本)

 

 

原稿が仕上がったので、ミライショウセツ大賞に応募します。

 

 ミライショウセツ大賞に応募することにします。

 元々、pixivにあるミライショウセツ大賞というネット小説投稿大賞を知ってから、小説を書くことにしました。お題である「魔法少女」に、これは苦手ジャンルな思いながらも、その困難に打ち勝ってこそ面白い小説が掛けるはずだと考えを改めて、先月から執筆を開始しました。

 8月上旬にテーマ決め、ネタ集め、キャラ設定、舞台設定と8月中旬でプロットの作成、8月下旬頃から書き始め、先日、一応の完成ができました。

 魔法少女モノは書いたことがないので、正直、どういったものを読みたいのか、そして、これが映像化したら面白いのだろうかと思いながら、書いていました。また、お題魔法少女」ですが、こういう場合、“○○○×魔法少女”という組み合わせでもあるので、『○○○』を見つけるのに時間がかかりました。

 さてさて、そんなミライショウセツ大賞ですが、今回、私が書いた作品のタイトルは――

 

 “ 魔法少女 サクナドファミリア ”

 

 ――というダークファンタジー系魔法少女です。

 テーマは「約束」、決められた約束と戦う魔法少女

 主人公、サクナ “ 佐久奈度咲那 ”は突然、青い太陽のある世界へと飛ばされたことで物語が始まります。

 

 全体的にしっとり感があり、闇という暗さよりも深淵という暗さをイメージした作品でもあります。

 文字数はおよそ9万弱、ちょっとしたライトノベルと同じくらいの文字数なので、すぐに読めると思います。

 真剣になって映像化したいと強く思いながら書いた作品なので、ぜひ読んでみてください。

 

 追伸.お題は魔法少女でなくて魔法使いだった……うわぁ……一ヶ月半の間、間違えて小説書いてた……。

 

 

第二回文学フリマ大阪に行ってみた。

 

 二日前、文学フリマ大阪があることを知り、今日、行ってみました。

 

 純文学もあればミステリーもあり、SFやライトノベル、詩集、果てにはサブカル系レビュー小説などなど、書店ではまずお目にかかることのない本が並んでいました。

 どんな本があったといえば、一言で言えば、ネット上にあるものが本になったというところかな。2000年代のごちゃごちゃしたホームページにあったものが本になったという感じがしました。

 会場の雰囲気はけっこう落ち着いていて、賑わっている本屋というイメージが強かったです。普通の即売会は一度行ったことがありますが、それよりも、落ち着いた感じがしました。多分、文学というジャンルは10代のコが行くものじゃなく、また、精神年齢の高いヒトが集まっていたからそういう空間を作っていたのだと考えられます。けっこう特殊な空間だったので、行ってよかったと思います。

 戦利品は一冊。スチームパンク的な作品を購入しました。表紙が煙臭い雰囲気と、中身も重厚な文章で見えたので手にとってみました。面白そうというよりも、雰囲気重視で買ったというのが理由です。

 他にも阪大のループものの本やディストピア作品について書かれていた本があり、購入しようと思いましたが、ループものの作品はけっこう見ていて、ディストピア系も最近、ハーモニーを読んだばかりなのでお腹いっぱいということもあり、今回はパス。すいません。

 しかし、阪大のミステリー作品が完売していたのは少し気になる所、かなりのミステリーファンが列を作っていたのかなと思いました。

 

 さて、そんな文学フリマ大阪でしたが、見本本を読んでいて、みんな、好きな本を作っているんだなと雑感。予算と費用とにらめっこしていたはずですし、自分の作った作品を読んでもらおうと色々と努力をしたと思います。ただ、客層の年齢が落ち着きのある大人ばかりということもあり、勢いで本を買うヒトはあまりいなかったと思います。となると、そういう大人向けの作品を書いてみるか、また、敢えて、書き出しを見て、その続きを気になる本も書いてみるのもいいかもしれません。

 しかし、文学フリマは世の中に出したいと思う本を発表するのがコンセプトだと思いますし、読み手に合わせると自分の書きたいものが見えなくなる可能性があります。クリエーターさんは自分の持ち味を見つけるために、文学フリマを利用するのもひとつの手かもしれません。

 勿論、読者の皆さんも、特別な本のある文学フリマに一度、行ってみるのもいいかと思います。ネットで出回っている情報に依存することなく、自分目線で本を選ぶ価値観が養われる貴重な体験ができるはずです。

 

 追伸.帰りの切符をなくして、また切符を買い直した……、よくモノをなくすな……

 

今日のこの一冊、ビブリオトーク【ドーナツを穴だけ残して食べる方法 越境する学問―穴からのぞく大学講義】

 

 ■ ビブリオトークとは?

 

 この本を読者に読ませたいと一点のみで相手に薦めるブックレビュー。

 本を読んだ感想よりも企画色が強い本の紹介である。

 第一回目のビブリオトークは、【ドーナツを穴だけ残して食べる方法 越境する学問―穴からのぞく大学講義】なり。

 

 ■ 【ドーナツを穴だけ残して食べる方法 越境する学問―穴からのぞく大学講義】

 

 大学本といえば、“生協の白石さん”が有名であり、学生達の一言に丁寧に返す白石さんの人柄が学生達の心をわしづかみし、それが書籍化された本である。しかし、この本は元々、大阪大学ショセキカプロジェクトで発行されたものだ。

 大阪大学ショセキカプロジェクトとは、大阪大学出版会の協力のもと、阪大教員による魅力的な書籍づくりを学生が企画提案し、その後の広報・販売まで学生自身が全面的に関わるプロジェクトのことをさす。その企画の中で選ばれたのが『ドーナツの穴だけを残して食べる方法』であり、阪大のブレインたちがその難問に挑んだ。

 元々、『ドーナツの穴だけを残して食べる方法』はネット上でよくやり取りされるネタである。それを12人の阪大教授が切り込んだら、こうなった、いや、どうしてこんなことになってしまったんだ!? というのがこの本のテーマである。

 

 ■ この本はドーナツの穴のように見える穴ではなく、とても深い。

 

 私自身、この本を読んだキッカケはとあるウェブニュースでたまたま目にして、それが気になったので、一度読むことにした。

 

 感想として、この一言に尽きる。

 

 強引。

 ゴーインに強引。

 

 映画のラストシーンで好きでもない許嫁と結婚式を上げている教会へと入って、その花嫁をかっぱらう主人公のような強引さがある。

 連想ゲームでりんご、ゴリラ、ラッパ、パンダ、だんご、……という具合でりんごについて話しているのに、なぜかだんごについて語り出すような本である。

 

 おかしい?

 いや、ナニモオカシクナイデスヨ、ハイ。

 

 最初は物理学的、数学的方法を利用して、ドーナツの穴を残そうとするだが、だんだんとドーナツの穴を残すことよりも、『ドーナツ』と『穴』というキーワードで教授たちが専攻する学問を紹介する本へとなる。

 確かに、この本はドーナツの穴を通じて、各々の教授が受け持つ学問について話す本なのだが、読んでいくうちに、ドーナツの穴だけ残して食べる方法から、教授の専門領域へと“どうやって、話を転がそうとするか”という教授の必死さが伝わる本へとなっている。

 淡々と、得意分野の話を語られて、「ああ、そういう話もあるんだな」と、納得する。読み終わった後、ゆっくりとカフェテリアでアイスコーヒーを嗜んでいると、「いや、チガウがな!」と、本にツッコミを入れるそんな本である。

 

 ■ 穴からのぞく大学講義のタイトルは伊達ではない

 

 この本を最高に楽しんで読む方法は、「ドーナツの穴をそれぞれの学問を用いて、ドーナツの穴だけを残す方法を読み解く」のではなく、「教授たちがドーナツの穴を残して食べる方法という言葉を用いて、いかに、ドーナツの穴からかけ離れた学問の内容を紹介する大喜利ショーを楽しんで読む」ことである。

 ドーナツの穴を残して食べる方法を正当法で切り込む教授もいたり、ドーナツの穴は何のその、取り扱っている学問を紹介する簡単な大学講義をして、最後はドーナツの穴もこれに似ているで落とす、上方落語かというツッコミを入れる話もある。

 あくまで、これは学問入門書であり、真剣にドーナツを穴だけ残して食べる方法を提示していない。(一応、納得できたのはトポロジーを使った方法だが、トポロジーを知らない人間が読んだら、ありかよ、というツッコミが入るはず)本気で、ドーナツを穴だけ残して食べる方法を期待して読んだら、裏切られる。そんな本だ。

 個人的には教授たちが専攻している学問を紹介する“強引さ”を楽しんで読んで欲しい。偉い人はこうやって話を煙に巻く方法もわかってけっこう楽しめる。

 小難しい学問入門書ではなく、トリビアの泉を見るように読むユーモア学問入門書としてオススメの一冊だ。

 

 ■ 私が考える『ドーナツを穴だけ残して食べる方法』

 

 さて、この本を読んで、私自身、ドーナツを穴だけ残した食べる方法を見つけた。

 

 1.まず、ドーナツの外周を食べます。

 2.次に、ドーナツを縦に切ります。

 3.これでドーナツは消滅し、半ドーナツとなりました。しかし、ドーナツの穴は2つ残せました。

 

 おい、これはドーナツも存在しているじゃない! という声があるはずだと思う。

 しかし、ドーナツは縦に半分切ったことで半ドーナツとなり、ドーナツであったものは半ドーナツへと変わってしまった。また、命題の大前提となっているドーナツの穴は維持している。

 半ドーナツは元のドーナツではない。だが、元のドーナツの穴は存在している。

 ドーナツであったものは消滅したが、ドーナツの穴を確保しており、加えて、ドーナツを食べたという行動もこなしている。

 これで、ドーナツを穴だけ残して食べる難問は無事クリアしたのだ。

 

 ただし、ドーナツの穴の深長は半分になっているので、正確にはこの穴は半ドーナツの穴ではないかという指摘がある。ドーナツの素材が残っているので、ドーナツの穴だけ残さず、食べ切れたとは言えない。

 

  そういうツッコミが絶対あると思う。

 

 はい。

 この本は学術的なウンチクがなければ、そういうツッコミが自然と出てくるとんち本です。

 はい。

 

ドーナツを穴だけ残して食べる方法 越境する学問―穴からのぞく大学講義

ドーナツを穴だけ残して食べる方法 越境する学問―穴からのぞく大学講義

 

 

俺タワーがスゴく気になる。

 

 ブラウザゲームは嫌いである。

 ついでに言えば、スタミナシステムも嫌いである。

 ゲームというものはリアルタイムを使わず、プレイヤーの入力した情報をそのまま反映してもらいたいのである。

 そんな私が最近、目に付いたゲームがある。

 

『俺タワー』

 

 なんだろう。俺とタワー?

 それって、「バベルの塔」か何かか?

 それとも、往年の名作ゲーム「tower」の男性用ゲームか?

 

 気になった私は配信元であるdmm(この時点でどんなゲームかはわかるのだが)へ直行する。

 

 ――ああ。美少女+アトリエゲーね。

 

 ゲームシステムは色々な場所で探索しながら材料を集めて、自分だけの塔を建設するものだ。この手のゲームはタワーディフェンスゲームというのが相場なのだが、「俺タワー」という名前でアトリエゲーはけっこう珍しい。

 しかし、これはかなりの危険なゲームだと第六感がささやく。

 ブラウザゲーム+無料プレイ+材料集めというだけで、メズドラーマ・エムルドアから源氏シリーズを盗むよりもはるかに確率に低いレアドロップアイテムが存在しているということだ。勿論、これは黒本を信じた場合の確率である。

 とはいえ、この手のアトリエゲームは城や街、お店を発展させるのに対して、なぜか塔を作り上げる。古来より塔は崩壊、災害などを象徴するタロットのアルカナであり、それに加えて、天に届く塔を作ったことで神の怒りに触れたバベルの塔をイメージする。一生懸命作っても、何らかのトラブルによって、崩落する可能性を示唆する。

 

 しかし、見方を変えれば、このゲームは塔だからこそ、面白いシステムかもしれない。

 ゲームシステム的に見れば、塔を拠点にすることで、建設がとても見やすくなっている。この手のゲームは街のマップを全体的に動かさないと何処にどんな店があるのかわからないが、マウスホイールを上下回すだけで何処にどんな店があるとひと目でわかる親切設計になっている。

 まあ、これは説明書を見ただけの話であり、実際にやってみると色々とめんどくさい所が出てくるかもしれない。……が、このゲームは私とフィーリングにあうゲームかもしれないと、第六感その2が訴えかけている。

 それは私自身、塔の持つ儚い美しさに惹かれているからだ。

 ハウルの動く城のような、寄せ集めでありながらも崩れそうで崩れないバランスこそが、塔が持つ儚い美しさなのであろう。プレイ途中のジェンガ、ピザの斜塔、塔とはかくして、崩れそうで崩れないものこそ、まさしく至極である。

 

 さて、前置きは長くなったが、俺タワーをやってみることにする。

 dmmは始めてなのでアカウント登録し、名前や生年月日を入力し、いざ、俺タワーへ。

 

 

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  ……DSの「tower」でもやるか。

 買ったことないけど。