羽根守のハネブログ

羽根守が思ったことを書いていく、そんなブログです。

逃避文学と宿り木文学

 

 よくマンガやアニメはこどもの物であり、その本質は現実からの逃避と言われている。逃避は強いストレスの緩和するために、人間が本能的に所有する機能である。

 人間が逃避を覚えるのは外界から与えられるストレスに耐えられない時である。勉強を例に取ろう。勉強をしたくないのに、勉強をしなければならない。このしたくもないのにしなければならないのがストレスとなり、このストレスとの付き合いでヒトの個性が決まってくる。勉強をしなければならない理由を追い求める” 探求 ”を自覚すれば、勉強と”対抗”することができるのだが、大人はこどもがその理由を理解できないと思い込んで、「やらないとダメ」というトンチンカンな解答で区切る。そのため、こどもは「勉強はやらないといけないもの」と答えを打ち出し、勉強は外界から与えられるストレスと結論付ける。

 とはいえ、こどもは勉強というものは社会的にしなければならないというものを空気から読み取り、きちんとやらないといけないものだと感づいていく。だが、勉強は楽しくなく、面白くもない。心から湧き上がるストレスと外界から押し付けられるストレスが板挟みを覚える。その板挟みを跳ね除けて勉強できればいいのだが、ストレスキャパシティを超えてしまえば、勉強が手につかなくなり、何か別のものがやりたくなる。逃避と呼ばれる現象が現れる瞬間だ。

 逃避をするために何かで遊んだり、妄想の昇華、すなわち、マンガやアニメ等を視聴することでやりきれないストレスをうまくやりこなす。他にもゲームで仄暗い感情をぶつけたり、読書をすることで荒波になった感情を凪へと戻したりもする。これらの逃避は現実世界から目を背け、乱れる心を落ち着かせるのが本質といえるだろう。

 この逃避は大人になっても行われる。勉強を仕事、家庭、恋愛などに置き換えても成立する。本当ならこうしたいと希望が募っていたのに、現実ではその希望を妥協しなければならず、希望から妥協へと削られたストレスのカケラを片付けないといけない。このストレスを片付けるために、こどものころから慣れ親しんだ逃避行動をするか、大人になって覚えた酒か喫煙などでごまかすしかない。

 ところが、逃避がめんどくさくなり、すべてを失ってもいいから目の前にある問題をなくそうとする”開きなおる”という行為が出てくる。それは地獄への道づれを考える一種の破滅的行為でもある。開き直った人間ほど、怖いものはない。こんがらがる頭から見つけた、たったひとつ冴えたのやり方をする人間の攻撃的逃避は、もはや兵器としか言い様がない。

 

 さて、逃避について色々と語ってきたが、逃避というのは先ほど言ったとおり、現実世界から目を背け、乱れる心を落ち着かせるものと提示した。心理学や精神分析学では逃避はもっと別のとして捉えているはずだが、今回はそう定義する。なぜならば、人間が生まれつき持っている本能としての逃避は実のところは、宿り木的な役割を持っているのではないかと提唱するためである。

 逃避の本質をもう少し良く解釈すれば、小鳥が羽ばたき疲れた羽根を休める宿り木的な役割を持っているからである。問題から一度離れ、客観的にその問題を見て、反省点と改善点を探した上で、再びその問題に取り組むことができれば、それは逃避ではないはずである。私は一度離れた問題に取り掛かる行為を、小鳥が羽根を休めて、再び大空へと挑む意味を込めて、” 宿り木 "と呼びたい。

 そう考えれば、先ほど、逃避と言っていたものは心と現実とすり合わせる羽根を休める時間と言えるわけだ。" 宿り木時間 ”とでも呼ぶべきか。この宿り木時間を経ることで、勉強のストレスを受け入れる準備する時間ができ、勉強と対抗する覚悟ができあがるわけだ。

 もし、ヒトに”宿り木時間”があるのならば、私はこの宿り木時間を与えられる小説を書いてみたい。SFやミステリー、ファンタジー小説は逃避文学(エスケープ・リタラチャー)ではなく、物事を別の角度から見ることができる宿り木文学になるのではないかと思うわけだ。

 事実、羽根守の羽根は、宿り木の羽根を守るペンネームの意味合いもあり、宿り木文学を書こうと考えている。ヒトの意識が現実世界から本の世界へと行き、再び現実世界へと戻る時にちょっとしたおみやげを渡そうと思うからである。

 しかし、そんなのいらんがなと思うヒトは多い。ムダな時間をムダなことして楽しむことがエンタメの魅力である。だが、ムダだと思っていた時間が実はけっこう有意義だったと思うとけっこう嬉しいものだ。そういうものを書いてみたいものだ。

 

 一人旅でみやげ話ができれば、最高の旅であったと言える。

 普段の生活では出会うことのないモノやヒトと触れることで、自分の中で何かが触発されて、新たな価値観を手に入れることができる。心にちょっとした化学変化ができあがって、普段とは違う角度から物事が見える視点ができあがる。

 それが私の思う”宿り木文学”、旅は必ず自分のいる場所へと戻るものだから――、

 

 ――と、言ってみる。

 

 

私が、読書感想文が嫌いなワケ

 

 誰しもが思ったことがある。

 ――なぜ、読書感想文はあるのか?

 読書感想文の狙いは、本の感想はもとい、感銘を受けた部分を引用し、それを元に自分の考えを意見するのが目的とされている。本の「感想」というよりも、本の書いていることをを引用し、自分の考えを訴える「論文」を作り上げる文章力こそ、読書感想文側が求めている答えである。

 とはいえ、読書感想文はもっと自由に書いてもいいと思う。それこそ、アニメを題材にした二次創作を書くように、小説に出てくるキャラクターや世界観を題材にした二次創作小説にしてもいいはずである。しかし、読書感想文は400文字づめ原稿用紙5枚という文字数制限があり、ちょっとしたショートショートを書くことも難しい。息苦しい論文口調の感想文になってしまうわけだ。――まあ、息苦しい論文口調の感想文になるわけは、原稿用紙のマスを埋め尽くすためにわざと、「思いました。感じました。考えられました」という、丁寧語という三種の神器の一つを行使しているわけだが。なお、あとの二つは、あとがき、と、コピペ、である。

 2000文字以内で書けることは本から一つの主題を読み切り、その主題を自分の意見や経験を交えて、自分の意見を主張することぐらいしかできない。しかも、学校の課題ということもあり、その意見と経験は学校側に迎え入れてくれる道徳的なモノでなければならないと、こどもは思い込む。よって、夏休みの課題として取り入れられている読書感想文は、エンジョイしたい夏休みを転ばせる大きなシコリとして、こどもたちを悩ませている。

 別段、読書感想文を書かなくても人生において何の問題もない。読書感想文コンクールに選ばれても、誰も覚えていないというのが現実である。それでも、読書感想文を書かないと、あれだけ長い夏休みを何のために過ごしてきたのかと人間性を否定されるがため、カラッポな脳みそから文字をぞうきんのごとくしぼりださないといけない。

 読書感想文を書くのはとてもつらい。一番、つらいのは読書感想文のために読む小説である。こどもにとって、動きのない文字を読まされても面白くない。それならマンガやアニメで感想を書いた方がいいはずだ。私はディズニーのクリスマス・キャロルを読書感想文として書くことで、読書感想文から逃げた。

 本を読むことが多くなってきた現在において、読書感想文は書いてもいいかなと思うことが多々ある。推理小説の犯人をバラしたり、ホラー小説のオチを言ったりして、先生を悔しがらせたいと夢見ることがある。事実、読書感想文はなんであれ、先生はその生徒のために、ちゃんと、読んでくれるからだ。ブログやツイッターを閲覧する人間よりも、その生徒の気持ちを共感し、または違うと叱ったり、声を返してくれる。

 読書感想文は先生、つまり、自分よりも上の大人のヒトと文章的な対話ができる機械である。ありあまる夏休みの時間を使って、2000文字以内で本の感想を伝える。論文的な書き方でいい。口語的にラフに書いてもいい。自分を良いコと評価されたいと道徳的なことを書いてもいい。ただ、先生という大きな存在と、本の話ができる、チャンスということを忘れてはいけない。

 今の読書感想文はそんな本の話をする機会を失った傀儡制度にすぎない。

 本の感想を通じて、自分の意見を言う。

 なんだよそれ。自分の意見って、本の言葉を引用しないと言えないのか?

 それって、誰かの言葉を引用して、相手を非難するヤツと一緒じゃないのか? 

 私にとって、読書感想文が嫌いなのは、そういうこと。モラル的なことをカタチ付けるために無理やり書かせる。読書感想文はこどもを道徳的な人間に擬態させるために、ネコカブリさせる第一歩を踏ませている。

 それで書く力を生み出せるはずがない。本を読む力をろくに教えていないのに、本の感想を書いてください、それも世間に見せても恥ずかしくないご立派なモノを見せてくださいと言われても、無理って話だ。文を読む力が発展途上中のこどもに、そんな難しいことを与えるのは厳しすぎる。小学生は読書感想文を書くのではなく、本を多く読んだ! という評価システムの方がいい。学力がつき、語彙が増えた中高生にこそ、読書感想文を書かせるべきだ。

 とはいえ、中学生高校生は読書感想文が一番ダルくなる歳だ。小学生で経験したカタハマリな道徳観を踏まえた上で本を読んだ感想をネコカブリ気味に書く。メンドクサイ。誰かの書いた読書感想文をコピペしたがるのもわかる。自分の読んだ本の感想がヒトと違っていたら怖いし、不安定になる。普通の学生と違うってだけで、思春期特有の恥ずかしい感情に刺激されて、モノがうまく書けないのだ。

 でも、その読書感想文でいいと思う。少なくともちゃんと本を読んで自分の声で書いたのならそれでいい。変にいきがると、先生と対話ができる機会をなくしてしまう。大人になったらそんな機会は何処にもないのだ。

 

 と、原稿用紙400文字5枚分、つまり、2000文字以内で、読書感想文の読書感想文について書いてみた。読書感想文をコピペやあらすじですませて、自由な夏休みを謳歌するのもいいが、読書感想文は自分を読んだ小説を声にする機会でもある。

 そんな読書感想文に本気にぶつかってもいいんじゃないかなと、ブログで書いた。読書感想文に悩んでいるのなら、一度、ぶつかって、笑われて、撃沈してみるのも乙なものだ。キミのことを知ってもらう本気の読者がいるのだから。

 

 

交渉を描く作品。『ギルコさんは欺けない』

 

 自作ラノベ風ウェブ小説「ギルコさんは欺けない」でテーマにしている“ 交渉 ”。

 交渉は一口で言っても、値段交渉、家賃交渉、外交交渉などがあり、自分と相手が持っている物が違って、それを互いに要求しあう取引だと私は思います。

 交渉は精神力をぶつけあい、擦り合うことのない孤独な戦いです。本来なら合意を合わせて、お互いがウィンウィンしあうのが正しい交渉です。しかし、現実の交渉は誰かと交えて、自分が捗(はかど)るという文字とは違い、相手を貶めて自分が得をするwin-loseの体型になっています。

 世間における交渉は自分が得するために動くものであり、自分が損するために動いているのではありません。したがって、自分が損すること、ムダなお金や労力を使いたくないはずです。そんな気持ちがあるのは相手を思いやる気持ちがないからと言うもいるかもしれませんが、一期一会の人間がもう一度出会うはずがないという観点から考えれば、そんなことも思っても仕方ありません。

 よって、交渉は二つに分類されます。それがwin-win型とwin-lose型の二つです。

 win-loseの考え方は相手を打ち倒す考え方で、相手の持っている資産を横取りすることが目的となります。そのための手段として、相手を騙すコンゲームを仕掛けることになります。

 win-winの考え方は自分と相手を共存していく考え方で、お互いの持っている資産を使うことで収益を生み出すのが目的となります。そのための手段として、自分は事業者となって、相手からお金を求める、いわゆる投資がこのカタチとなります。

 また、lose-loseというのもありますが、これは事業者の力不足の結果であり、自分から負ける方向へ行く考え方ではありません。復習のために、地獄への道連れをするのであれば、この考え方もあるといえばありです。

 

 さてさて、交渉のカタチが見えてきた所で、なぜ、交渉をテーマにした作品を書いたのかについて説明します。

 カンタンに言えば、異世界ファンタジーモノで、交渉をテーマにしたモノは存在していなかったから。それだけです。

 ラノベだと取引や経済を取り扱った作品はありますが、異世界ファンタジーで交渉そのものをテーマにしたものはないと思います。交渉をテーマにした作品は、アニメだとザ・ビックオー、ドラマだと踊る大捜査線のスピンオフ作品、ゲームだと銃弾とダイヤモンド、などなど、色々とありますが、異世界ファンタジーで交渉モノはなかったと思い、ないのなら書いてみようと書いたわけです。

 

 そんな交渉をテーマに、異世界ファンタジーとして書いたら面白いのではないかと思い、この夏、それを執筆することにしました。

 

 自作ラノベ風ネット小説「ギルコさんは欺けない」の交渉は、相手を出し抜いて自分が得すること、という考えが蔓延しています。相手にウソをついても、それは見破れなかった人間側の自己責任であり、対等価値を見極めなかった勉強代というのが、この世界の約束事になっています。

 相手を騙して、自分だけが得しようとするそんな世界。

 相手との合意を重ねる交渉は成立するのか?

 「ギルコさんは欺けない」は剣と魔法が存在する異世界ファンタジー。その異世界ファンタジーでの交渉を描いていきます。

 ギルコさんの応援をよろしくお願いします。

 小説はこちらで後悔しています ⇒ http://ncode.syosetu.com/n0859cf/

自作のラノベ風、ネット小説、ギルコさんは欺けないを公開します。

 

 タイトルどおり、自作のラノベ風、ネット小説、ギルコさんは欺けないを公開します。

 このネット小説はどこの会社にも持ち込んだものでもなく、大賞に応募したものでもありません。

 個人的な思い入れのある作品でもあり、皆様の読んでもらいと思い、公開することにしました。

 公開する場所は、このブログと、小説家になろうにしています。

 いち早く、読みたい方は小説家になろうで読んでください。

 

 

 

ブログ始めます

 

 羽根守です。

 ネット小説を書いています。

 代表作は 表現規制のプロット ― 異世界へ転生してチートします ― で、” 表現 ” をテーマにした現代ミステリー小説です。良ければ見てやってください。

 

 さて、この度、私がブログを書き始めたのは、次回、公表する作品は色々と説明した方が面白くなると思ったので、ブログでその説明をしようと思ったからです。

 

 専門用語や世界観をブログで説明を見ながら、小説を読むのもよし。

 少し小説が物足りないと思ったら、このブログを読んで考えるのも良し。

 

 このブログがきっかけで小説が面白くなれば幸いです。

 

 それでは、失礼します。