羽根守のハネブログ

羽根守が思ったことを書いていく、そんなブログです。

その次。その次。

 人間、“その次”を考え出すと一気に未来が閉ざされる気分となる。特に、“その次”の“その次”なんて考えたら、未来に潰される。

 例えば、今している仕事が終えたとき、その次の仕事を考える。この仕事は早めにやるべきか、それとも誰かに任すべきか。それとも、少し休んでからとりかかるなど、仕事に対する準備を考えてから仕事をする。

 そして、その次の仕事にとりかかろうとするそのとき、“その次”を考えてしまう。

――またこれをやるのか? またこれを……。 

 思考がタイムループするような感覚。消化したはずの作業が実のところ消化しきれず、胃から這い上がってくるような嗚咽と共に、気味の悪いものがこみあげてくるこの感覚。それが“その次”である。

 まあ、これが“その次”でなく、今やるものなんだなと思考を振り切れればそれでいい。しかしながら人間、“その次”というものは何度か多々出会うものだ。そのときも、“その次”なんだな、と思って、無駄口を何度も叩きながらそれをやりきるものだ。

 それを何度か何度かやりきっているその道中で、“その次”が2つ、3つ、4つと、整列して並んできてしまったとき、一気に背筋が冷えてくる。

 ――あ、あれ。

 “その次”の次に、“その次”。“その次”の後ろに“その次”。“その次”が“その次”と、次から次へと“その次”が正しく整列して、前へと向かってくる。

 “その次”は何処まで行っても果てがなく、自分が“その次”を消化しなければ、消えることはない。

 ……これが“その次”。

 合わせ鏡の真ん中に立って、際限なく増え続ける自分を見つめるような未来思考がそれ。“その次”の“その次”を考えるとまた合わせ鏡が一枚増えて、“その次”の像がまた増えるのである。

 

 たいていの人間は“その次”の“その次”なんて考えないもので、未来のことを言えば鬼が笑うと考えないものだが、無意識はなぜか“その次”を考え出してしまうことがある。生存本能なのか無邪気なのかは知らないが、そういう未来を考える。

 基本、未来を考えることはいいことだ。今より上を目指して目標を定めるのだから、“その次”について考えるのはいいことである。

 しかし、“その次”がある日、突然、『その次その次その次……』と壊れたコマンドプロトコルの如く、未来が次々へと描かれ出す。しかも、頭の中で思い浮かぶ像はすべて、今いる風景と同じ景色で同じことをやっている。やっているのだ。

 これはもう危険信号だ。これ以上考えるとノイローゼになる。思考はもう無理だと吐き気を催しているのだ。

 

 さて、ここで視点を変えてみよう。

 

 “その次”の“その次”があるということは、“その次”の“その次”まで自分はそこまで生きてそれができている。

 もしかすると、現在が底なしの状態で“その次”もそれかそれかもしれない。けれど、そこまでは、そこまでは、なんとか生きている。――そう見てみよう。

 

 プラシーボにもならないパラダイムシフトではあるが、“その次”の“その次”まで、時間ができている。無意識が動ける時間の空白を見つけてくれているのだ。

 

 ――その時間の中で何か別のことを見つけよう。“その次”から出ていくために。

 

 “その次”を考えることは今いる自分をよりよくするための思考である。“その次”に潰されないためには、いち早く、“その次”が来たと認知し、“その次”をどのように解消するか、それを考えてみよう。

 

 と、まあ、何を偉そうに。と、自分自身そう思いながらこれを書いている。まあ、夏休みの宿題を“その次”“その次”と回していたら、8月31日にその宿題を一気にやらなくはいけない事態になったことを思い出し、これを書いたわけである。(まあ、最初の科目まで宿題を伸ばしたけど)

 その次その次でできるうちはいいが、時間切れがあることをお忘れなく。時間が来ればその次がなくなるから。

 こう考えれば、“その次”は自分の心からのメッセージだと思うことができると言ってみる。