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羽根守のハネブログ

羽根守が思ったことを書いていく、そんなブログです。

”詰め”と”諦め”

 

 いろんな場面で大切なものが色々とあるが、そのなかでもこれが大事! と、なかなか気づかれない代物というのが『詰め』だと思う。

 

 例えば、大学受験や資格試験である程度まで勉強をしたが、あと一歩というところで点数が取れないというのはおそらこの”詰め”が甘いのだと思う。公式や単語、専門用語は覚えているが、どこでどれを使えばいいのかというのはわかっていないのはまさしくこれ、詰めが甘い。試験の時間配分の使い方が予定よりオーバーしてしまうのもそれ。2、3分遅れただけでも致命的になることも少なくない。

 しかし、そんなの”詰め”の甘さに気づかず、自分は大丈夫と思ってしまうもの。そしてテストの結果が悪ければ、なんで取れなかったんだと肩を下ろす。それならまだいいが、自分には才能がない、向いていないのかも、と、”諦め”に走ってしまう。そうなると試験どころか勉強そのものを放り出してしまうサイクルへと陥ってしまう。”詰め”の甘さが”諦め”になるのは別におかしいことではない。

 

 それでは詰めの学習方法はどうすればいいのかだろうか? 一番手っ取り早いのは試験本番を想定した模試を受けることだと思う。模試を受けながら、自分の心のつぶやきを問題用紙の片隅にでもメモを取れば、詰めるべき穴が見えてくる。とはいえ、試験本番を想定しているのだからそんなヒマするぐらいなら1点2点を取った方がいいと脳みそはそっち好むはずだから難しいところだ。

 となると、次は”詰め”の学習段階をどの時点でするべきなのかという話となる。何かを学ぶときは予習→講義→復習→定着というのが基本(かな?)だと思うし、試験の前では、復習ノートの確認→問題集→間違えた所の確認→問題の復習というサイクルが好ましいところだが、ここまでやってもまだ詰めの段階に来ているとは言えない。ここまでの復習を2,3回程度ぐらいしかしていないからだ。

 復習を何十回すれば詰めることができるのか? 残念ながらそうだと思う。しかし、復習の時間を1回30分かけろというわけではなく、ノートをさらっと見て、「ああ、ここはこういうことだったんだな」と1,2秒間で脳内バタフライエフェクトが起こったような感覚を覚えればそれでいいと思う。そして、問題集もさらっと見て、「ああ、ここはこうやって解いたんだな」と脳内バタフライエフェクト2が起こったような感覚になればいいと思う。そうやれば、自然と学習内容については”詰め”ができていくと思う。

 

 しかし、ミヒャエル・エンデが危惧した時間を盗まれている現代人においてはノートを見る時間でさえも時間が惜しい。電車内でスマホをいじくるのは好きなクセに、血なまぐさく問題を解いたノートを見るのはなぜかイヤ。そりゃ、電車内でお目こぼしにも程がある汚らしいノートを見るなんて恥ずかしいし見せたくもない。

 電車内でゲームをしたり、化粧したり、コーラを飲みながらスナックをばっさばっさと食べている輩がいるのに、なぜかこういう真面目ぶったことに関してはうまくできない。ある意味、ここでも勉強をすることがが恥ずかしいという訳のわからない羞恥心が働いて、”詰め”を”諦め”ている。

 言い換えれば、そんな必死なことをしてもこんなところでしているなんて日頃から勉強不足じゃないの? と、いうあなたの人生のこれからがわかっていますよ、という陰口が聞こえているからか、ノートを見ない。

 

 閑話休題

 

 さて、ここで個人的に”詰め”の学習方法を1つ。

 

 一度目の学習が終わって問題集を解いて学習内容が定着した後で、もう一度軽めのノートを書いてみる。ただし、そのノートは間違えても重いものは絶対書かず、自分が学習した内容を思い出すことができる想起ノートを作る。すなわち、脳内バタフライエフェクト3完結編とも言える軽めのノートを作るわけだ。

 もうすでに仕上がった母艦ノートは完成しているのだから後は日頃から記憶を引き出す想起ノートがあれば1秒でも復習ができる。これでダメ押しに”詰め”ることができる。

 ただし、そのノートを書きすぎないこともまた1つ。かといって、問題一つ一つごとに1ページ使うのももったいない。個人的には「問題を書いておいて、横にちょこちょこと解答となるヒントを書いておく」のがおすすめ。解答はもう問題集やテキストにあるから大事なのはそのプロセスが脳内に存在しているかにある。最終的に詰める場所はノートでなく、脳にあるからだ。

 まあ、私の場合、学習の詰め方としては広い広い基本レベルの問題集を試験1週間前(大学受験なら2週間前、模試は全て終わらせていること!)にして、弱点をあぶり出すのがオススメ。この時の使う時間は想定時間の半分以下、またスタミナが続く限り全問解く。

 ここで問題なのは立ち止まること。時間を使う問題なら良いが、問題に立ち止まるということはその問題と解き方を知らないということだ。立ち止まったら遠慮なく解答を見る。そして次、と終わるまで続ける。

 もしあまりにも立ち止まるのなら、それはもう”詰め”の段階ではなく、まだ問題を解く段階、つまり、定着前の状態だ。高得点は望めないと覚悟を持って、その問題を覚えるつもりで覚える。

 問題を解き終えて、試験の前の日、その問題集をパラパラと読んで、バタフ……と、もういいだろう。とにかく、軽くてもいいから振りかえよう。

 

 後、本番試験用の”詰め”もある。計算ミスが多発するのなら他の問題に移って、落ち着いてから解く。見直しのために次の問題へ行くと言ったリカバリーポイントの設置。ここは速く解く、ここは時間が必要だと気づくショートイージー・ロングディフィカルト(即易難問)の特訓。1つの問題にこだわりすぎて時間を多く使う性格か。図は小さめで多く用意するか、それとも大きめにしとくかと問題ごとに考えておく、などなど。

 やはりこれらの詰めを知るのは模試を受けるか、問題解くときに誰かに添削してもらうと言ったコーチング(先生じゃなくてもその問題を解けるレベルの人間)を受けた方がいいかもしれない。ここで大切なのは自分が満足……とまで行かなくても良いが、とかく納得した解答を提示するということ。それが”詰め”の学習につながる、と、言ってみる。

 

 あ、そうそう。

 昨年の12月ぐらいか。私が地下鉄に乗っていると、塾帰りの小学六年生かな、そのコが私の隣に座ると、一目散で難関中高算数の問題集を開いて解き出した。それを見せびらかせいたのかどうか知らないが、ボクはガンバっているぞ、という姿を見た。

 そのとき、私は、ああこれはXを使わないで解くのか? とか思いしつつ、電車に降りた時「あ、これがこのコにとって電車が”詰め”の場所なんだな」と、なんとなく感じた。

 

 小学生が電車内で勉強を”詰め”ていた。大人は何かを”諦め”る前に、その何かの”詰め”について、もう少し考えてみるのもありなのかもしれない。

 

 ちなみに、これは事実です。