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羽根守のハネブログ

羽根守が思ったことを書いていく、そんなブログです。

玩具性の線引き

 

 現在のおもちゃというのはこどもの想像性を広げる知的教育面としての有効面ばかり取りざたされている。これで遊べばこどもの力がつく! と何処かの自己啓発書みたいな感じを受ける。

 しかしながら、こどもはそういうおもちゃを説明書通り使うかというとそうではない。分解したり、床にたたきつけたりと、オリジナルの遊び方で満足するものである。なんでこういう風に遊ばないの! と、親は高望みをしたがるが、他の遊び方もあるのではないかと“模索するこどもの想像性”というのはそこにあるのだと私は言いたい。

 

 と、よくある新書的な書き出しで始めたが、今日は玩具性について話したいと思う。というのも、玩具性について書いてある本を探しても何処にもなかったというのが本音である。つまり、自分が今、思ったことを、確認するために、このブログで書こうとしているわけである。

 

 玩具性は、おもちゃ屋で売られている”こどものおもちゃ”というくくりではなく、自分の行動によって自分の期待通りに動いてくれるものだとしたい。

 

 こどもはおもちゃを見つけると、それに目を奪われ、そして触れたくなる。止まっているおもちゃであれば、自分からそれを動かそうと手に持ち、ブンブンとそのおもちゃを動かす。自分でそれを動かしているのだと認知し、キャキャキャと喜ぶ。

 ところがテレビアニメで出てくるヒーローものを見た場合、それが変わってくる。ヒーローが使うひっさつわざを真似るカタチで遊び始める。「ライダーキック」「ライダーパンチ」「プリキュアの美しき魂が邪悪な心を打ち砕くッ!」と、ヒーローの技をなぞらえることを楽しみ出すようになる。このおもちゃはこうやって遊ぶんだとこどもが知るはずのないおもちゃ制作会社から提示した正しい解答を出すようになる。無限にあるはずの想像力が一つに収束された瞬間だ。

 では、玩具性が失われたというと失われてはいない。確かに、想像力を失った点では玩具性はなくなった。けれど、おもちゃが自分の期待通りに動いてくれる点では玩具性というのは存在している。想像力を無限に広げる天才育成キットではないことをここで一度、確認しておきたい。

 

 玩具性についてもう少し噛み砕こう。テレビを見ることも玩具性を刺激する。

「このキャラはアホだからアホな行動する」という認識でテレビを見ると、そのとおりになってくれた。面白い。嬉しい。玩具性というのはそういうもの。「このキャラはヒーローだから正義な行いをする」と認識でヒーロー物を見ると、そのとおり動いてくれた。楽しい。嬉しい。と、こういう風に自分の思った通りにキャラが動いてくれることが玩具性を刺激する。

 売れている日本のyoutuberはそういうこどもの玩具性を刺激できるヒトが多い。自分では到底食える量ではないおかしを1000コ以上買った動画を上げるyoutuberがいるが、こどもの玩具性を刺激するには十分なものである。「すげぇ!」「全部食うの?」と、自分の家庭では到底できないことをしてくれるネット上のヒーローはスマホの向こう側に存在する。

 玩具性は自分が触って動かすおもちゃ以外にも、テレビ映像から自分の脳内で刺激される。また、その刺激を共有し合って、友だちとコミュニケーションを取ることができる。玩具性は一人だけで浸り続けるのではなく、誰かと交流できる共感性を持つものでもあるため、現在において必要な感性と言える。

 

 ところで玩具性は鍛えたらどうなるのだろうか? そこら辺は私も専門家ではないからわからないが、玩具性を適切に鍛えたら、様々な状況下において適切な行動を打ち出せる想像力と、話題の共感性を持つ人間へと育つと思う。けれども、その玩具性を間違えて鍛えられてしまったら、自分が王様で周りにいる人間をおもちゃと見立てる危険性もはらんでいる。

 例えば、玩具性の線引きができないで誰かとコミュニケーションを取ったらどうだろうか。自分の命令どおりに動いてくれる人間を大切にし、命令どおりに動いてくれない人間を人間ではないと思ってしまう。人間をおもちゃと見立ててコミュニケーションを取るのだから期待どおりに動いてくれないと腹が立つ。「なんでこれができないの?」「なんでこうやってくれないの?」と、おもちゃが自分を裏切っている感じがして、イライラが募り、壊したくなる。まあ、人間を壊すことはないと思うが、このヒトを下に見るように育つ可能性がある。玩具性の線引きは大切だと考えられる。 

 

 こうやって見ると玩具性というのは幼少期の頃から人間の性癖を育成する大変危険な代物なのかもしれない。玩具性の線引きを誰からも教えられず、自分でも気付かず育っていたらどうなるのだろうか。特に両親共働き時代において、親のいないこどもたちはスマホやゲームに釘付けになっていく。こどもの玩具性はとめどなく育成されるのは仕方がない。

 とまあ、不安を煽った所で、今日のブログはこのへんで。

 

 あ、そうだ。

 なんで、こんなことを書いたかというと、親が自分のスマホをこどもに渡すシーンを見かけたのがきっかけである。誰かがプレイしたゲーム動画を無料に見ていると、「ゲームを買う余裕がないのか。プレイしたら絶対楽しい」と胸の内につぶやいた。

 そのことをこどもを持っている友人に話すと、「いや、そうじゃない」と言われた。「じゃあ、なんで動画を見せているか」というと意外な言葉が来た。

 

「こどもは黙って動画を見てくれる」