大人げないおっさんから学ぶ、日常の「速さ」
お腹すいた時に天丼が食べたいなと思ったそのとき、ふと、あることを思い出した。
それは平日の昼下がり、天丼屋で店員に向かってどうしようもない文句をぶつけていたおっさんのことだ。
あまりにもくだらないので、ながなが書く気はないので単刀直入に言うと、
「時間がかかっているぞ。早くできると思ったから入ったのに」
――と、どうしようもないものだった。
ちなみに、そのおっさんは私が入ってときから後に来た客で、だいたい10分くらいでそれを言い出した。
確かに、時間わずかな昼休みで10分のロスは痛いものであるが、チェーン店でもない町の天丼屋でそれを言うのはどうだろうか。
――お腹すいたから早く食べたいのではなく、時間がもったいないから早く食べさせろだから、なんかもう救いようがない。
仮に大事な商談があるからちょっと食べておこうだったのならコンビニで買うか、チェーン店に入った方が確実に時間の節約になる。だというのに、なぜ、町の天丼屋に入ってしまったのか。
確かに、その店は見てくれは飲食チェーン店のような装いをしていたが、中は少し広い食堂屋であった。券売機もなければ、呼び出し鈴もない。ごく普通のお店である。たいていそういうお店は時間がかかるという覚悟と、それに似合った味を提供してくれる楽しみがあると思った方がプラスに働く。
しかし、おっさんはそういう目がなかったのかどうかはわからないが、入ってから10分足らずに「早くしてくれ!」と文句を言った。無理言うな。工場で冷凍パックした飲食物をお店で解凍してそれを出しているのとは違って、厨房で一つ一つ調理しているのだから。
チェーン店に慣れたサラリーマンであれば、どんぶりものはすぐできると思っているのだろうか。20分前後、いや、15分はかかるだろうに。
と、言うのが一週間前まで私が思っていた町のどんぶり屋に対する認識だった。
ところが、最近できたチェーン店のカツ丼屋に入ってカツ丼を注文したら10分足らずにカツ丼が出てきた。カツ丼がこんなにもすぐできるのかと関心してしまうと同時に、おっさんのガマンはこういう店から作られているのだと改めて思う。日常的にこういうお店ばかりに入ったら速さに慣れてしまう。
日常の「速さ」がここから作られる。
おっさんの言った「早くできると思ったから入ったのに」という言葉の真意を、10分足らずに出されたカツ丼を見てわかった気がした。
だが、おっさんの文句を認めたわけではない。日常の「速さ」に慣れてしまって、日常の「遅さ」を感じた時に、誰かに当たるのはあまりにも大人げない。日常が「遅くなった」とき、自分の立てたスケジュールとズレてうまくいかないことはわかる。だが、今までの日常が「速かった」という目で見ないと、その日常の「遅さ」と遭遇したときにうまく対処できない頭となり、感情的になり、大人げないおっさんとなる。
でも、今回、私は日常の「速さ」でおっさんがキレたワケに気づいたのだが。日常の「速さ」に慣れ過ぎると、日常の「遅さ」を感じた時に不快感を知る体質になるのはとても怖いものだ。町の洋食屋でも行って、時が遅く流れる感覚を味わい、そのズレを直した方がいいかもしれないと言ってみる。
ちなみに、味は町のどんぶり屋の方がチェーン店よりおいしかったです。