羽根守のハネブログ

羽根守が思ったことを書いていく、そんなブログです。

千羽鶴はいつ届けるべきか?

 

 熊本地震被災された皆様へ心よりお見舞い申し上げます。

 

 さて、熊本地震について色々と思うことがありますが、一番思っていることが一つ。

 

 色々と早い。そんな気がしてならない。

 

 熊本地震が発生してから一週間近く、驚くほど迅速な対応ができている。これは、東日本大震災の経験やその後の法律によって対策ができているからだと考えられる。

 一方でその早さが裏目で出ているのもしばしば見受けられる。その一つが被災へと届けられる千羽鶴である。

 

 私も小学校の頃、修学旅行で原爆ドーム千羽鶴を届けるために折ったことがある。それまで千羽鶴なんてものを折ったことがなかったため、首や羽がくたびれた感じの折り鶴になってしまった。また、中学校の頃にも千羽鶴を折ることにもなり、千羽鶴に関してはあまりいい想い出がない。

 とはいえ、子どもにとって誰か傷ついたヒトに届けられる数少ない応援メッセージといのはそういうものでしかない。お金以外のものでくすぶった気持ちを昇華させるには、千羽鶴を折るのが一番ということになる。

 しかし、被災者にとっては本震から一週間、まだ余震がやってくるかもしれないと恐怖を感じているときに、これからガンバって羽ばたいていこうと元気な気持ちを与える千羽鶴は相性が大変悪い。また、生活圏が急変し、これからどうやって生活するかを考えないといけない。つまり、千羽鶴を届けるのは時期早々というわけである。

 ところが、震災が現れると困っているヒトがいるから千羽鶴を折って元気づけようとする発想が出てくる。勿論、誰かのために何かをしてあげるという気持ちは、どんな宝物よりも大切なものである。だが、誰かのために何かをしてあげたいという気持ちは相手の気持ちを聞かないことにはお節介以上の厄介事であり、逆に相手の気持ちを逆なでにする行動となる。

 困っているヒトに何かをしてあげたいという気持ちが無闇にからぶっている。これが私にとって、「色々と早い」と感じる理由なのだろう。

 

 何百回以上の余震が現れ、まだ地震が来るかもしれないそういう精神状態で、千羽鶴が届けられたら、これ以上地震に対してがんばらないといけないのかという気持ちになってしまう。これでは精神がすり減ってしまう。相手はそういうつもりで千羽鶴を折ってはいないが、届けられた方はそんな気持ちになってしまえば、千羽鶴の羽は羽ばたかない。

 震災と聞いて何かしたいが、お金がなく、何もできないとくすぶっているかもしれない。そういう気持ちの中で誰かが間違ったことをしたら厳しく非難したくなる。それで被災者のためになる気持ちになれる。いや、それが正しいことだと思ってしまう。そういう気持ちになってしまうのであれば、それは千羽鶴を折ることよりも悲しいことかもしれない。

 自分は何もしていないのではないかとくすぶっている感情が攻撃的な感情をもたらす。そんな自分は揮発するアルコールみたいなもので、着火されやすくて、炎上させやすい。しかも、たちが悪いことに自分の言動を正当化してしまう。誰かのためにしてあげたい感情が悪いエネルギーになっているときだ。

 そういう気持ちになっているのであれば、千羽鶴を折るのはいいことかもしれない。誰かのために思う気持ちがカタチになっているからだ。ただし、届けるのは後にする。余震が終わり、被災者に生活のメドが出てきたときに始めて届けられる。千羽鶴の羽も元気よく羽ばたけるだろう。

 つまり、千羽鶴を折るのは今でも後でもよく、千羽鶴を届けるのは、相手先が笑顔に驚かせる時期まで遅らせるのだ。

 

 「色々と早い」情報化時代の中で、意識して「遅らせる」方法を取るのが必要だと思う。このいつ届けるかがいつになるのかはわからないが、それまで待とう。

 相手のために必死に折った千羽鶴が部屋の物置になるから捨てようと言うのであれば、厳しいことをいうかもしれないがそういう気持ちで折ったにすぎないのだ。

 

 私の親戚も熊本県にいる。阿蘇から離れた南部にいるのだが、たいへんだったようだ。また、友だちも福岡県にいて、なんとか大丈夫、とLINEと返答した。

 そういう状態の中、自分ができることといえば、情報を集めるか、自分のモヤモヤしている感情が何かを見極めることぐらいしかなかった。で、やっと、このモヤモヤ感というのが、誰かのために何かしてあげたいくすぶっている感情だったと、このブログを書いている時にわかってきた。

 このくすぶっている感情が良いエネルギーになるか、悪いエネルギーになるのかは、そのヒト次第。もし、悪いエネルギーになりかけているのではないかと感じてくれたのであれば、このブログを書いた意味がある、と、言ってみる。

 

 ……今年の終わり頃か来年か、九州に行くことになるかもしれないな。