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羽根守のハネブログ

羽根守が思ったことを書いていく、そんなブログです。

宿題代行者ってカッコいいよね

 

 こどもの代わりに宿題をする宿題代行者という仕事が流行っていると聞く。彼らはこどもにとってある意味正義であり、夏の風物詩である蝉の鳴き声と同じぐらいわずらわしいものを片付けてくれる力強い存在だ。

 夏休みの宿題といえば、漢字の書き取り、算数ドリル、読書感想文に自由研究などなど、学校の宿題と違って、長期休み特有の不思議なものを持っている。それは先生から言われたことを復習する宿題とは違い、先生がいなくても成立する宿題だからだ。となると、問題集の裏側にある解答をそのまま書き写せばいいし、自由研究もホントに自由なことをやってもいいし、読書感想文は自分以外のヒトに手伝ってもらってもいい。そう考えたら、夏期休みの宿題はホントに必要なのかという話になってきそうだ。

 元々、学校がこういった、夏休みの宿題を渡すのはこどもの学力の向上や宿題を通じた心の育成を狙いにしているからだろう。宿題を誰かにやらしても、こどもは成長するはずもなく、学力も上がるはずもない。

 しかし、夏休みの宿題を真剣に取り込めば、それで学力が上がるかと言えばそうでもない。夏の間、学力塾で理解できていない所をきちんと復習した方が学力は上がるはずだし、そのコのことを理解している人間から特別な課題を渡した方が、こどもの才能がすこやかにのびるはずだ。つまり、学校側が渡される宿題よりも、学力塾に行かしたり、こどもの才能を伸ばす教育を施した方がこどもにとってプラスなはずだ。となれば、夏休みの宿題など、目の上のたんこぶであり、夏の憂うつをもたらす大きな問題であろう。

 したがって、宿題代行者はありかといえばありって話になる。学力塾で勉強したいのに、学校からの宿題があるから勉強する時間が奪われるなんて本末転倒である。サッカー選手になるための練習も、夏休みの宿題によって集中力を奪われてしまえば、ただの障害である。

 友だちと遊ぶ時間もゲームする時間も、夏休みの宿題が邪魔をする。こどもから見て学校から送られてきた夏の宿題など、絶対的な悪者しか見えない。そんな悪者をとっちめる宿題代行者は、こどもたちにとって、あってほしいヒーローなのだろう。

 とまあ、こどもを主観的な見方から宿題代行者を持ち上げたわけだが、世間という立場から宿題代行者を見たら悪者であろう。それはこどもに“ずる”を与える方法であり、お金で問題を解決できる方法を知るキッカケでもある。そんな“ずる”を知る機会になるのが、宿題代行者という存在でもある。

 だが、この宿題代行者はタダでやってくれるサービスではなく、無論、有料サービスである。宿題代行者に支払う費用は1ヶ月500円のおこづかいしかもらえないこどもに到底支払えるはずもなく、親が支払う。お母さんに預けたはずのお年玉貯金がこんなところで使われているなんて知ったら、逆に、こどもは夏休みの宿題を真剣に取り組みそうではある。

 さて、ここで一つ大きな疑問がある。それは宿題代行者に宿題を任しても筆跡鑑定や文章力からそのコが宿題をやっていないことがバレるのではないかというものだ。

 結論から言って、学校側はその不正を知ってもその不正を認めるしかないだろう。仮に、筆跡鑑定からこどもの“ずる”がわかっても、学校の先生はモンスターペアレンツに「本人が宿題をしていない」と主張することができるのだろうか。渡された宿題は不正なものであっても、モンスターペアレンツに強く言うことができないないはずだ。昔なら、学級会で夏休みの宿題忘れたコを黒板の前に立たせて、恥をかかせて宿題をしないことはいけないことと自覚させるが、そんなことをしたらあらゆる方面から糾弾される。

 こどものためにならないとわかっていても、強く言うことはできない。煮え湯を飲まされるだけ飲まされる。学校の先生は良心の呵責に痛みを感じながらも、宿題をきちんとやってきたと認めるしかないだろう。

 だからこそ、夏の宿題をこどもにきちんとこなすかどうかは親に掛かっている。宿題代行者に任せて“ずる”を教えるか、それとも、夏の貴重な時間を潰させる宿題をこどもにさせるのか。遊ぶだけの時間があるのなら夏の宿題をやった方がいいと思うし、こどもの可能性を引き延ばしたいのであれば誰かに宿題を任した方がいい。ただ、悪い選択肢与えることで、こどもに悪い選択肢を選ぶこともできる教育を施したことは、自覚して欲しいところだ。

 

 こどもの将来を不安定にさせたくないのなら宿題代行者を雇わない。「宿題は自分でやるもの」と言っても、それでこどもは納得してくれるかは不明ではある。

 しかし、不正な方法を知ったらそれをやりたがるのがこどもである。こどもにとって不正はチャレンジなのだ。夏休みの宿題は不正チャレンジが行われている会場でもあるのだ。

 

 そういえば、私が小学生の頃、優等生のクラスメイトに宿題を代わりにやってもらっていた友だちがいて、大人になってからも感謝していたな。宿題代行者のクラスメイトは、そのコにとって記憶から忘れられないヒーローだった。

 夏休みの宿題も夏の一つの思い出、自分がやるか、誰かに任せるか、それとも「宿題をわすれてゴメンなさい」と言うか。こどもが選んだ選択肢でどんなことが起こるのか、それを知ってもらうのも、教育だと思う。

 ……まあ、7月20日や9月1日から夏の宿題をやった私が言うのもなんだけどね。

 

  ※ 9月1日、加筆修正。見直しができてないな。