羽根守のハネブログ

羽根守が思ったことを書いていく、そんなブログです。

テレビの魔法が解けた日-2016-01-18

 

 SMAPと言えば、日本に住むヒトなら誰もが知っているスーパーアイドルであり、多くのヒトに夢や希望をもらしてくれた大きな存在であった。

 彼らがテレビに出ると、視聴者は、次はどんなことをしてくれるのかを期待し、同時に彼らはけして私達の期待を裏切らない大きな安心感を与えてくれた。

 

 ところが、SMAPの謝罪会見によってそれは大きく覆された。彼らは深々と頭を下げ、自分達の行動に不手際があったと謝罪し、責任を取る社会人の姿がそこにあった。

 この行動に関して、パワハラだ、BPOだ! という声があがっている。しかし、私にとって気になったものはそれではない。あの謝罪会見によって何か大きなモノを崩れたのだ。

 その大きなものというのはテレビに掛けられていた魔法、すなわち、テレビの安心感というものが崩れたのだ。

 

 家に帰ったらテレビをつけて、それをBGM代わりにして、着替えをして、次は何をしようかなと考えるものである。テレビをなせつけたがるのかは、それは部屋の中で一人だと寂しいからであり、何らかの声が欲しいものである。かといって、歩道で遊んでいるこどもの声をBGMにするには少々うるさいものである。なぜなら、自分で音量を調節することができず、自分の期待するような行動をするはずがないからである。

 ここでいう期待とは、ニュース番組の新しい情報やバラエティ番組の笑い声と言った、テレビをつければ当たり前に送られてくる情報に対する期待を意味する。私たちは現在の情報や少し雰囲気を変えたい、笑いが欲しいなど様々な要因によってテレビをつけて、情報をもらい受ける。そのとき、心の中にあるのは、それらがもたらされるはずであるという期待感であり、その期待感に突き動かされてリモコンを持って、電源を入れるのである。

 

 今回のSMAPの謝罪会見も何らかの期待感を持ってリモコンを手にしたはずである。解散しないでほしい、彼らはこれからどうになるのだろうかという不安感に煽がれて、その気持ちを止めるため、安心感を得ようとテレビを見ていたはずである。

 その結果、2016年1月18日で見たものは、安心感どころか、テレビそのものを伝えてしまった『報道』であった。

 あの報道は、「私達の作っているテレビはこういうところです」というすべてが込められた濃密な数分間だった。おそらくすべてのヒトは謝罪よりも、「テレビ」というぞくりとしたものを目や音やその身体で感じたはずである。もちろん、演出だったと考えれば、そこで思考を止めることができるが、その演出をも越えるにじみ出た恐怖感は忘れることはできない、……テレビはこういうところ、という現実を見せられた瞬間だった。

 そう、あの『報道』によって、安心感を求めていた私達はテレビに対する期待感が崩れてしまった。 

 

 安心感という魔法が解けてしまった私達はこれからどうなるだろうか? おそらく、何も変わらないはずである。いつもどおり、テレビをBGMに日常生活を営み、毎日を過ごすはずである。そして今までどおりテレビに出てくるタレントに期待して、安心感のある笑いやどうでもいいような情報を受け取るはずである。

 だが、時折、目に入るタレントに対して今までと同じように見ることができるのだろうか? 私達は魔法の掛けられたときのまま笑っていられて、その情報を素直に受け取ることができるのだろうか。あの芸能人が言っていたのだから、この商品はいいもの! と鵜呑みにして商品を買うことができるのだろうか……

 昨今、テレビはつまらないと言われているが、それでも一定の視聴者が見続けて、大きな広告効果をもとらしている。番組と企業がタイアップして商品を紹介する番組も少なくない。テレビの効果はまだまだ健在である。

 しかし、魔法を解けてしまった視聴者はその番組を見て、あの『報道』と同じときの感覚を受けてしまったらどうだろうか。果たして視聴者は手に取ろうとするだろうか。安心してテレビに期待していたときの自分と、あの報道を見た後の自分とは少しテレビを見ている質感が変わっているはずだ。

 

 そう、あの『報道』がもたらしてしまったものは、今まで作り上げてきた「テレビ」の魔法を、皮肉にも、テレビ自身が崩してしまったのだ。

 

 

モノ書きのパラメーターについてドラクエ風味に考えてみる

 

 モノ書きのパラメーターについてドラクエ風味に考えてみる。

 

 この考え方は書き手としての自分を認識する際にとても役に立つと思う。

 

 それでは、まず、基本のパラメーターについて。

 

 > HP:自分自身の「信頼度」、読者の「期待度」

 > MP:トリックや設定などの「引き出し」や「やる気」

 > 攻撃力:読み手の心を動かす「文章力」

 > 守備力:作品の設定や世界観の「矛盾点」や「批判点」

 

 ・ HP:自分自身の信頼度

 

 HPは自分自身の信頼度。簡単にいえば、これから面白くなっていくという「期待感の持続性」と言ってもいいだろう。この信頼度がなければ、読者はすぐ飽きて、読まなくなる。すなわち、作者としてのHPがすぐゼロになるわけである。

 例えば、一発屋芸人がすぐテレビからいなくなるのは、このHPがゼロになるからである。ずっと同じネタを繰り返されたら面白くなり、飽きる。そうなると、視聴者の期待感の持続性が失われ、信頼度がなくなるというわけだ。

 結局、モノを書くということは誰かに何かを伝えるということ。モノを読む人がいなければ、書いたものは意味がないもの。このHPには気を使っていきたい。

 

 ・ MP::トリックや設定などの「引き出し」や「やる気」

 

 MPは引き出し。推理小説で言う所のトリック、ファンタジー小説で言う所のキャラクター設定や世界観、などの所有の数をさす。

 まず、小説を書くのであれば、このMPを上げることから始まる。どうやって上げるかは人それぞれ。私の場合、本を読んだり、勉強をしたり、これを血肉にしようという意識で高めている。

 MPをある程度高めた所で、MPを消費しながら、モノを書き続ける。このMPが多ければ多いほど、文章を多く書くことができるはずだ。

 また、他にも「やる気」がMPと言ってもいいだろう。何かを表現したいという気持ちこそが文章の源。やる気、モチベーションも高めていきたいものだ。

 

 ・ 攻撃力:読み手の心を動かす文章力

 

 この攻撃力こそが作品の核となる。この攻撃力が高ければ高いほど、読者を次の1ページへと動かす原動力となり、この作品は面白いなと思ってくれる。

 語彙力、文法力、構成力、設定力、などなど、文章における総合的な力を束ねたものが攻撃力であるわけだ。

 

 しかし、どうやって文章力を高めていけばいいのか? それが問題となる。

 

 基本は何かから設定を借りて、その設定から文章を書いてみるのがいいだろう。童話から借りてもいいし、好きなアニメやゲームから借りてもいい。ただ、それは二次創作となるので相手から「武器」を借りたようなものでもあるので注意が必要となる。幾ら、語彙力、文法力、構成力が上がろうが、「設定」を描くことができなければ、いつまで立っても、借り物でしか物が書けなくなってしまう。

 だが、借り物だとしてもモノを書くことには代わりはない。なぜなら、それは作品として存在できることである。だから『借り物だからよくない』とあまり意識しない方が良い。ただ、それはパクリであることは意識した方がいいだろう。

 

 あと、攻撃力を上げても命中力がなければ、意味がない。命中力は流行のアンテナを感知できる観察力や、読者の無意識に眠る感性を察知できる力が必要である。プロはこの命中力が高く、読者の心を狙うのがとてもうまい。個人的には攻撃力よりも命中力を磨くことが大切だと思う。まあ、ある程度攻撃力をあげたらの話である。

 

 ・ 守備力:作品の設定や世界観の矛盾点や批判点

 

 守備力は、この作品にツッコミどころがないかという批判点。「これ、現実的でないだろう」と、ふと、素へと戻らせるウィークポイントでもある。

 例えば。恋愛ドラマで超お金持ちのイケメン御曹司が主人公であるブスな少女と恋に落ちるという話があるとする。はい、守備力がゼロの矛盾の塊で、読者からの非難が上がるだろう。こういう声が上がるのは、ブスな少女が自分と重ねたくもないという読者の気持ちにある。感情移入できるポイントにブスというファクターを入れたのは良いが、自分がブスだという認識を生み出し、「ありえない」という意識が高まってしまうからだ。

 イケメン御曹司が一番の矛盾じゃないの? という意見もあると思うが、この要素こそ作家の命中力であり、攻撃力。これが読者の心をわしずかみする武器と言える。こういう「ありえないけどあってほしい」という読者の気持ちを撫でるのも攻撃力であろう。

 さて、ここで、この設定でどうやって守備力を上げるべきか。私の場合、主人公を「ブスな少女」でなく、「無口でおしとやかな少女」と置き換えてみるとどうだろうか。そうすれば、主人公は感情移入できるキャラクターとなり、読者の気持ちが重なるはずである。今まで守備力が裸一貫だったのに、プラスへと転換するはずだ。

 

 ・ 守備力と攻撃力の関係性 

 

「守備力」はジャンルによって、ゼロに近い作品もあるし、高すぎる作品がある。どちらかというとラノベは他の小説と比べて守備力が低く、その代わり、攻撃力が高いと思う。ラノベで受けるには作家のパラメーターを攻撃力に全振りし、守備力は他の設定からパクるというのが良いのかもしれない。

 それを意識して書いているのか書いていないのかわからないが、攻撃力がありあまるラノベ作品が増加している。しかし、それは同時に守備力がゼロに近い作品が世に出ていることでもある。そういう作品はすぐ読者からの批判があれば、HPがすぐゼロになってしまう。そうなると、読者がみるみるうちに離れて行き、最後的には打ち切りへと追い込まれることだろう。

 それに、攻撃力の高い武具はMPをすぐ枯渇させる。妄想力や引き出しがいくらあろうとも、守備力がまったくない状態では、いつかダムにできた穴のごとく、音を立てて決壊することだろう。

 

 ・ 自分が上げるべきのはパラメーターは攻撃力? 守備力?

 

 モノを書くためには攻撃力を上げるべきか、それとも守備力を上げるべきか。それは自分自身の問題だと思う。そう言ってしまえば元も子もないが、攻撃力を上げるためには日頃から引き出しや文章を書かないといけないし、守備力を上げるためには勉強をしなければならない。それと同時に、引き出しを増やすために、MPを高めないといけない。こう考えると、日頃の練習をする際には、攻撃力と守備力のバランスよりも、攻撃力とMPのバランスが大事になる。結局、よく本を読む人間がよい文章を書くという理屈が通ることになる。

 まあ、個人的には守備力をあげつつ、MP、攻撃力を上げ、HPを高めていきたいのが理想だ。しかし、人間の気持ちというものはどうしても誰かから意見をもらいたがるもので、攻撃力に力を入れてしまう。つまり、どうでもいい作品につい話を盛り込んでしまう。せっかく貯めた設定やトリックをその場その場で使ってしまい、後々になって使えにくくなる。

 こうなると,筆は次第に止まってしまい、書くのが嫌になる。自分で自分の首を締めてしまうのが守備力ゼロの怖いところだ。

 そういうのがあると意識しつつ、何か面白いものを書きたいところだ。

 

今年1年は『冬』の年でした。

 2014年はどんな年だったのかは多くのバラエティ番組でやっていますし、どんな本を読んだのかというのも様々なブログでやっていると思います。ただ、今年を全体的に通して見ると『冬』の時期だったのではないかと思います。

 アナと雪の女王から始まった今年は4月から始まった消費増税によって財布の紐が固くなり、国民の消費意欲が全体的に減りました。ただ、それは消費増税前に駆け込んだ消費の影響もあり、これから迎える冬を備えるためのものだったと私は考えていました。

 2015年は2014年と引き続き『冬』になるのか、それとも、無事、『春』を迎えることができるのか? これからの経済に期待にしたいところです。

 

 それでは、2015年はどんな年になるのでしょうか? 寒い冬が通り過ぎ、ホントの春が来るのか?

 と、その前に、あなたにとって「春」とは何でしょうか? 桜の花が咲いているからただ花見をするだけであれば、それは春が通り過ぎ、夏も秋も通り過ぎ、気付ければ、また寒い冬を迎えることになります。

 季節の風と同じように服装を変え、心構えも変えていく。となると、「春」という時期を迎えるにあたって、心構えも変える必要があると考えます。

 ネガティブな冬を越えてポジティブな春になれるように、2014年の鬱積した気持ちは、残りの日で整理しておきましょう。

 それでは、今年もおつかれさまでした。来年もいいお年になれるように、気持ちを変えていきましょう。

ユーチューバーの視聴者とは誰か?

 

 今日、カフェで作業をしていたら、私の隣に主婦たちが座って、雑談をした。その内容はこどもの名前やネットで拾った画像など、とりとめのない話であった。

 どうでもいい話だなと思いながら、私は作業を続ける。

 ふと、そこで私はあることが気になった。

 それは彼女らの話ではなく、主婦が連れてきた一人のこどもだった。

 

 そのこどもは3,4歳ぐらいのこどもで、母親のスマホを借りてマリオを見ていた。マリオがスマホで登場するゲームなど聞いたことないので、プレイ動画だと察した。

 プレイ動画については色々と議論があるが、まあ、それは置いといて、主婦たちが雑談している間、そのこどもは次々とプレイ動画を見ていた。wiiuでプレイできないのかなと思っていたら、ちょっとあることに気づいた。

 

 もしかすると、ユーチューバーの大半の視聴者はこういうこどもじゃないのかな?

 

 3,4歳ぐらいのこどもにとって、母親のつまらない雑談ほど苦痛のものはない。母親の井戸端会議で待たされるこどもは暇で死にそうなものだ。そのとき、こどもがやることといえば、携帯ゲーム機で遊んでいるというのが、数年前までの風景だった。

 なぜ、大人はこどもにゲームを与えていたのか? それは、ゲームが子守の役割を持っていたからである。こどもは隙さえあれば、親と遊ぼうとせがむ困ったちゃんでもある。

 こどもの用件にいちいち付き合うヒマはない。自分達の仕事や時間を確保するために、こどもに携帯ゲーム機を与えていた、と、私は考える。親の雑談の横で携帯ゲームで遊んでいたこどもの姿が今でも目に浮かぶものだ。

 

 ところが、スマホが普及した現在において、その光景は少し減りだしている。こどもに自分のスマホを与えて、動画を見させる親が増えている。その理由はスマホの携帯性と、携帯ゲーム機を買えない経済的理由だと考える。

 スマホの携帯性というのは、いつも持ち歩いているという意味である。スマホはゲームや動画を見る以外にも、夫との連絡をするために、スマホをいつも持ち歩いている。現代人にとってスマホは必須アイテムと言えるだろう。

 友だちとカフェで話をしたい、だけど、こどもの子守もしないといけない。

 そういうとき、スマホは強い力となる。スマホの無料ゲームは怖いから、無料動画を見させた方がリスクも少ないし、何より夢中になって見る。いいことだらけだ。

 

 日本において動画サイトで再生数が伸びている動画は、そういうこどものヒマを潰すコンテンツが強いのだと、私は思う。勿論、テレビでオモシロイと思った部分を切り取ってアップロードする動画も強いし、有名ユーチューバーが上げている動画も再生数が多い。話題性のある動画とネット上のお友だち動画が日本で流行っている。

 親が安心して見させることのできるお友だち動画が流行っている現状は親の子守事情があるのだと、私は思う。

 こどもの子守の役目が携帯ゲーム機からユーチューブ動画へと移った瞬間を目の当たりにした。

 

 雑談を終えた主婦たちが外に出て行く時、プレイ動画を見ていたこどもが私にスマホを見せてきた。こどもはすぐ親に連れられて、外へと出て行った。

 はたして、あのコは何を言いたかったのだろうか。自分の好きなプレイ動画を見つけてはしゃいでいたのか。

 自分がプレイした動画ならぜひ見せてもらいたいが、他人がプレイした動画ならちょっとゴメンだ。なんだか悲しくなる。色々な意味で。

 

 

モノを書くモチベーションの上げ方

 

 最近、新しい小説を書き始め、自分の中でモチベーションが上がってきたなと思います。そこでトーシローの私がモノを書くモチベーションについて色々と語ってみます。

 

 1.自分なりのファーマットをつくり上げる。

 

 モノを書く上で大事なのは構成。起承転結、序破急、結論事実総まとめ、というように、構成を決めておくことです。いわゆる情報を入れるハコを作っておき、そのハコに言葉を書き込むようにすれば、何処に何を書けばいいのかわかってきます。

 例えば、お店の紹介の時に、この店に行く経緯→店構え→店内の様子→厨房の様子→実食→総まとめというように構成を考えれば、スムーズにモノを書くことができます。

 

 2.ネタの取捨選択

 

 モノを書く上で何を書くよりも何を書かない方が書く範囲を決めることができます。ラーメン屋の紹介であれば、読者は味や店内の混みよう、近くに駐車場があるのかなど、基本的な情報とそれプラス筆者の独特の観点を求めています。余計なことを書く労力を省き、必要な情報に力を入れてみるといいかもしれません。

 

 3.パレートの法則を考える

 

 イタリアの経済学、ヴィルフレド・パレートが発見した法則であり、全体の数値の大部分は全体を構成するうちの一部の要素が生み出しているという説。20%のことが80%のことを生み出しているという法則です。

 例えば、あなたの見ているブログ読者の20%が残りの読者80%を呼び込んでいるという考えてみましょう。80%はにわかですが、20%はきちんとあなたのブログに価値があると思っています。

 言い換えれば、20%の読者のために為になる情報、または心を動かせることを掛ければ、残り80%の読者を呼びこむことができます。

 80:20を意識して、文章を書いてみると楽に書けると思います。ただし、パレートの法則を鵜呑みにしすぎて、文章を手抜きしないように気をつけましょう。

 

 4.書く時は書かない。書ける時に書く。

 

 ブログや創作は趣味であると考えましょう。好きな時に好きに文章を書けば、広がりのある文になるはずです。アクセス数稼ぎを意識し、書かないといけないと強迫観念に襲われたら、文章にも粗や心の奥底にあり澱みがぷかっと出てきます。

 モノを書いていて、窒息しそうになる思いになるのなら、一度、文章を書かない休肝日を用意してましょう。

 

 5.自分が安心できるぐらいにネタを仕入れる

 

 おそらくこれは一番先に書くべき項目だと思いますが、私は敢えて、最後に持ってきました。

 モノを書くことで大切なのは何を伝えるか。その”何”は何処から仕入れるのか? 

 その”何”かはヒトにとってそれぞれありますから、それは自分で見つけてください。ただ、ネタの見つけ方を見つけておくと、心が安心して、これを伝えよう、あれを伝えようと前向きになります。

 街出かけた時、写真を多く取っておく。ネットで面白い画像を見つけたら、画像を多めに取っておく。散歩していて何かを思いついたメモを一言多めに書いておく。

 この豆な行動がモノを書く上で自分を支える力になります。

 20%のことが残り80%を作り出す。パレートの法則を信じて、ネタを仕入れてください。

 

 と、まあ、モノを書くモチベーションについてダラダラと書いてきましたが、やはり、何かを書きたいかがないと、うまく書けません。

 テーマを考えて、そのテーマを広げるように、モノを書いていきましょう。

 はい。

 

 

 

 

 

 

 

読書の秋なので、私なりの「本を読む習慣」について語ってみる

 

 基本、私は本を読まない人間です。しかし、今年に入ってから読んだ本は累計200冊以上あります。ちなみに、この中にはマンガは含まれていません。

 それでは、なぜ、私は本を読まないのに、これだけ本を読んでいるの?

 それは本を読む習慣を作っているからである。

 

 1.本を読めばプラスになるというモチベーションの上がる本を探す。

 

 本を読む習慣を作るためには大切なことは、自分の選んだ本を読んでそれから何を手にするのか? これにつきます。プロから技術をもらい受ける素人の感覚で探せば、自分が読まないといけない本がたくさん見つかるはずです。

 本を読むことは時間の浪費ではなく、時間の逃避、ではなく、時間の投資。ビジネス書であれば失敗を予防するための時間投資、小説であれば心を広げる時間投資、マンガであれば共通話題の時間投資。という考え方で本を読めば、この本を読むことは自分にとってプラスになると、モチベーションの上がる本を探せばまずは本を読むことができます。

 ここで注意が一つあります。モチベーションの上がる本を見つけても、中に書かれている本が難読のものもあります。これでは読む気がなくなり、本を読む習慣がなくなります。この場合、その本は自分に合わない本だったときっぱりと捨てて、別の本を探してください。

 個人的には自分の読みたい本のテーマを決めて、初歩レベル、中級レベル、上級レベルと、三段階で決めるといいでしょう。小説の場合は作家で決めると、興味のある本、デビュー作、人気作。ジャンルで決めると、人気作、初心者向け、興味のある本、という具合に本を探してみるといいでしょう。

 本を読むことで大事なのは、この本を読めば、自分がプラスになる。ちょびっとだけプラスになるものでもいい。全部読まなくても、その中の数冊はきちんと読めばそれでオーケー。これを意識してみましょう。

 

 2.本を読む場所を探してみる。

 

 読みたい本が見つければ、次に大切なのは本を読む場所です。自宅で本を読もうとしても、色んなモノが邪魔して集中して読めないと思います。本を読んでいる時に邪魔するのは、何か別のことがしたいと思う浮気心、テレビ、電話、パソコンなどなど、自宅には本を読む時間をなくす誘惑的なものがいっぱいあります。浮気心を消すためにも自宅から離れた場所で本を読むことをオススメします。

 それでは何処で本を読むのか? 私はもっぱらカフェテリアで本を読みます。私がここで本を読むと決めたカフェテリアが数件あり、そこで本を読むことが習慣になっています。

 ――本にお金を出した。コーヒー代も出した。その出したお金分、勉強してやろうというモチベーションで本を読めば、意外と読めるものです。

 もし、カフェテリアで本を持っていくのあれば、スマホに自分の好きな音楽を持っていくか、耳栓を持って行くことを忘れないで下さい。おばちゃん達の世間話を聞かされる席に座った場合、耳栓があるかないかで本を読む集中力が大きく変わってきます。また、音楽もボーカル曲ではなくBGMの方を持って行くといいでしょう。

 

 3.本を読んでいて気になったら付箋を貼る。

 

 本から学ぶことはいっぱいありますが、読んでいる間はなるほどと思いながら、数日経てば、あれ、なんだっけ? と思い返すことが多々あります。その場合、気になった点があれば、付箋を貼る習慣を身につけましょう。 

 付箋の貼り方は、「これ、学校や職場で言ったらウケるな」と思ったら貼る、「このヒト良いこと言ってるな」と思ったら貼る、「ここがまとめポイントか、あとで読み返そうと」と思ったら貼る。とにかく、付箋が手元からなくなるまで貼ってみてください。

 二度目読む時はその付箋の所だけを読み返して、「もういらないな」と思ったら剥がしていきましょう。

 ちなみに、私は読書ノートを作っていまして、付箋で貼った所はノートに書き写しています。第二の脳みそを作るように書いており、今では100冊以上の本を読書ノートに書き写しています。ホントに読んだ本を自分のものにしたいのなら読書ノートを用意するのもいいかもしれません。

 

 4.それでも本を読む習慣ができないのなら、それは本を読む自体が嫌っているから

 

 私自身、小学生の頃から本を嫌っていました。それは単純に、本を読むことをすすめる社会の風習、読書感想文のために本を読めという押し付けがましい空気のせいで、本を読んでいませんでした。

 本を嫌っているヒトの大半はおそらく小学生時代から存在する悪魔の読書感想文によって、本を好きに読めないという苦しみに襲われているからだと思います。

 残念ながら今の教育は、本の読み方について教えてくれません。

 そのため、書かれている内容の全部を覚えるべきなのか、感想を言えるぐらい熟読しなければならないのか、本を読む習慣のない人間にはマラソンのしたことがないのにマラソンをしろと言われるぐらい過酷なものです。

 しかし、本というのは読者自身が自由に読むものであり、100%読み耽るのもよし、表紙絵だけで買ってもオーケーなものです。私の本の読み方は80%ぐらい理解できたらいいなと思うぐらい軽い気持ちで読んでおり、400ページの小説なら1冊1時間半で読むスピードで読書しています。

 本って考えるよりもはるかにかる~く読むべきであり、小難しく考える必要のないものだと思います。脳回路が焦げるぐらいに深読みせず、目に付いたものを片っ端に目に通すぐらいの感覚で読むといいと思います。

 

 夜が長し秋、ここらで本を読んでみませんか?

 かる~く、かる~く、レジチェッカーで通す程度でいいので何か読んでみてください。

 それでは。

 

「小説家になろう」でデビュー?して半年経って思うこと

 

 □ 「小説家になろう」でデビュー? して半年

 

 ここらで一度、「小説家になろう」で書いた二作の長編小説について振り返ろうかと思います。

 


表現規制のプロット ― 異世界へ転生してチートします ―

 

 電車に撥ねられた異世界転生小説を真似して自殺した少女によって、小説投稿サイトにある異世界転生を扱った小説が検閲されるミステリー小説。主人公、貴崎伸一は自分の書いた小説が少女を殺したという事実を知り、自分の書いた小説に苦しみながら、虚構と現実の間に迷い込んでいく。

 2000年代の広がった少年少女の「心の闇」と「ネット」を組み合わした物語で、もし、2010年代で起きるのであれば、こういう事件が起こるのではないかと執筆しました。表現とはなんだろうかという実験的小説でもあり、ある種のメタフィクションも含め、虚構と現実を行き来する感覚を読者に味わってほしいと書いてみました。

 2014年3月28日公開、6月24日完結。PV9000。

 

 次の長編を書く前に、短編小説の二作を幾つか紹介。


夕暮れのサスペクツ

 

 梨ノ山中学校の旧校舎で不審火が起こり、その中から四人の遺体が発見された。四人の遺体は梨ノ山中学生2年2組の生徒達であった。彼らは映画の撮影のために旧校舎の空き部屋を利用していたが、担任に黙って撮影し、不審火に巻き込まれて、亡くなってしまった。
 2年2組の担任、鮎川は不審火事件の責任を取り、辞職することになった。副担任の小林泰史は鮎川から資料を引き継ぎ、その資料の中から映画のポスターを見つける。そのポスターの中には亡くなった四人と、伏原遊来の姿があった。

 小林は伏原から話を聞こうと、彼を理科準備室へと呼び出すが、事件と何の関係のない櫛川悠里が来てしまう。ところが、カノジョはなぜか不審火事件の話を語りだす。小林はその話がホントなのか疑いながら、カノジョの話に耳を傾ける。

 ユージュアル・サスペクツを元にした事件。元々は呼び間違えた人間が事件の真実を知っていたらどうだろうかというコンセプトで書いた作品です。短編ミステリーならではの不気味な雰囲気と想像の付かない展開を考えるのに四苦八苦した作品でもあります。しかしながら、反省する所が多々あり、この失敗をこれからの執筆活動を活かしていこうと思います。

 2014年、7月6日公開。PV656。

 


21

 

 体重計をにらめっこして、左右に揺れる数字と向きあう。体重が減れば両手をあげて喜び、体重が増えれば肩を落として悲しむ。ジブンの今の体重を知るということは一喜一憂の勝負の時である。だが、その体重が減らなくなってしまったらどうなるだろうか?しかも、それが過酷な運動して食事制限もした上で、体重が変動しないのであれば、どうだろうか?
 
 この話はそんな不可解な現象と出会った女性の話だ。奇妙なダイエットをしたカノジョは、突然、体重が減らなくなった身体になってしまった。なぜ、体重が減らなくなったのか、と、疑問を覚えたその時、カノジョにある数字が目に入った。

 “ 21 ”

 カノジョは21という数字が時間などに隠れて、ジブンに付きまとっていることに気づいていく。

 

 ホラーものは苦手だというを実感した作品。まあ、奇妙なダイエットそのものにムリあったんじゃないかというのが私の意見です。一つ一つ丁寧に書き上げることで不気味さを表現する文章の技法を身につけたいと実感しました。

 2014年8月9日公開、PV391。

 

 それでは二作目の長編を紹介します。

 


ギルコさんは欺けない

 

 交渉バトル×異世界ファンタジー=ギルドマスター小説!?

 オルエイザ大陸の未開拓地方アドセラにある森林の村“ ラドル ”。
 “ 異世界 ”へと続く森があると言われている村に、一件のギルドがあった。
 ギルド『クローバーエース』は村長から村の開拓を請け負ったギルドであり、そこにいるギルドマスターはどんなアイテムでも鑑定できる“ 審美眼 ”の能力を持っていた。
 
 無職の冒険者“ リッツ ”は妹の“ ルル ”と共にラドル村につき、地図を売るためにギルドへ向かった。
 訪問した先のギルドで彼を待ち構えていたのは16歳のギルドマスター、“ ギルコ・ギルミー ”であった。


 RPGのクエストを与える側であるギルドマスターがクエストをこなしていくラノベファンタジー小説
 ギルコさんは冒険者と交渉を重ねていく中で、交渉の意味を考えていく。
 ――交渉とは駆け引きか? それとも、出し抜くものか? はたまた、お互いの要求をすり合わしていくものか?
 交渉を武器に戦う少女は、厳しい決断を迫られていく――。

 

 交渉をテーマにした中世ファンタジー風ライトノベル。剣と魔法の世界でギルドマスターが主人公にしたらどうなるのだろうかと思ったのがコンセプトで、前々からテーマにしたかった交渉を組み合わしたら、この小説が出来上がりました。

 この小説の裏テーマは”欺く”であり、読者を騙すことを念頭に置きました。そのため、最後に仕掛けた大どんでん返しは誰にも見破れないと思います。どんなどんでん返しかは読んでからお楽しみに。

 なお、ギルコさんの物語はこれからも続きますが、私が手がけるのはここで一旦おしまいにします。

 2014年7月21日公開、9月28日完結、PV4811。

 

 とまあ、小説家になろうで小説を書いて6ヶ月、色々とわかったことがあったので書いてみます。

 

 ・ 基本読まれない。

 

 小説でなろうで小説を書いていますと言っても「ああ」と言われるだけで誰も読まれません。ランキング上位にある小説によってなろうの小説はこんな小説なのかと満足し、他のネット小説を探すヒトはいません。

 ネット小説の大半は未完成であり、誤字脱字は当たり前、小説の雰囲気も何一つできていないというのが基本です。ただし、読者に俺はこうなんだという気持ちは伝わってきます。

 ですので、自分もそういうネット小説を書いているのだなと自覚した方がいいと思います。

 

 ・ 一度書いた小説は時間を置いてから読み返す。

 

 完成した小説ほど誇らしいものはありません。しかし、その小説を急いで他にヒトに見せてはいけません。自分の書いた小説は誤字脱字だらけで、言葉の表現の使い方も間違っていると思ってください。時間を置いてから再び読み返して、「これ出していたら、バカにされていたな」「うわぁ、こんな恥ずかしい所」と、自分の見落としていた所を反省しながら文章を推敲してください。

 見直しをしない小説を読者に見せることは、一度地面に落ちたおむすびを食わせるのと同じくらい失礼なことだと思います。とはいえ、私もよく見直しをせずにブログを書いていることもあるので、ちゃんと見直しをしないといけないと反省しています。

 見直しをする時、自分の書いた文章を減らす方向で見直しをすれば、引き締まった文章になるので、おすすめです。まあ、世の中には友だちと話していると感覚で書いている小説も好きなヒトもいるので、ダラダラな文章をそのままにしておくのもひとつの手です。でも、客観視する地の文は引き締まった方がカッコいいので、そこは短く見たままを教えましょう。

 

 ・ PVは飾りである。

 

 なろうで小説を書くのならPVは飾りと思うことです。検索でたまたまウェブサイト上に出て、謝ってクリックされたのだと思ったほうが精神衛生的に安心します。

 

 ・ 作家が宣伝するよりもキュレーターが宣伝した方を選ぶ。

 

 作家が面白い小説ですというよりも、読者が面白いと言った方が面白いと感じるものです。なので、キュレーターの方がおられましたら、私の小説を宣伝してください。切実です。お願いします。

 

 ・ スキがあった方がなぜか読まれる。

 なろう系小説が面白いのは作家が一生懸命、設定や世界観を考えたけど、何処か詰めの甘いガバガバ設定だと思います。物語の雰囲気を出そうとして色々と書きすぎて笑いを呼ぶこともあれば、余計な一言を付け加えたことで世界観が台無しになる所もあります。

 小説を書く方は、モノを書いている間、頭がトランス状態になっているので、そういう間違いを見つられないのも、やむを得ないところもあります。校閲方法を身に付けるか、小説を呼んでくれる友だちがいれば、そういう間違いは少なくなる(文章の間違いはゼロにはならない)と思います。

 でも、結果的には読まれるからそれでいいかも。ただ、そうなると王道が書けなくなるので気をつけましょう。

 

 □ これからの執筆活動について

 

 小説家になろうで半年しか活躍していない私が言うのもなんですか、小説を書くことは楽しいと思い始めています。

 小説は誰かに読まれるモノであり、その誰かに文章で書いた以上のモノを伝えなければなりません。文章は二次元でしかありませんが、読んでいる側がその文章を取り入れることで、三次元、いや、時間を超えた四次元空間を感じることができます。私もそういう本に出会ったこともあり、一度は筆を折っていた時もありましたが、再び筆を取ることを決意しました。

 半年の間で、15万文字、21万文字の長編を立て続けに書いてきました。疲れることをやってきたなと思います。ただし、「なろう」のランキング上位の小説は100万文字以上! なんていうかそこまでネタがあるのだろうか、他の小説を書いて自分の引き出しを増やさないのか、と思う所は多々ありますが、大長編の大河小説はそれぐらいありますので、一つのモノに長く書いていくのも作家の魅力の一つかもしれません。

 

 小説は読まれるもの。多くのヒトに読まれるためには、これからも面白い小説を書いていきたいと思います。

 

 それでは、次の作品でお会いしましょう。