羽根守のハネブログ

羽根守が思ったことを書いていく、そんなブログです。

ボードリヤールとウェブ小説

 大量消費時代における「モノの価値」とは、モノそのものの使用価値、あるいは生産に利用された労働の集約度にあるのではなく、商品に付与された記号にあるとされる。たとえば、ブランド品が高価であるのは、その商品を生産するのにコストがかかっているからでも、他の商品に比べ特別な機能が有るからでもない。その商品そのものの持つ特別なコードによるのである。つまり、商品としての価値は、他の商品の持つコードとの差異によって生まれるのである――ジャン・ボードリヤール。『消費社会の神話と構造』ウィキペディアより引用。

 現在におけるウェブ小説は、ボードリヤールの言うように、ある特別なコードとの差異によって書かれていると言っても良い。すなわち、異世界モノと呼ばれるコードが中心となって、読者はその差異を比較して、楽しんでいる。無論、ウェブ小説には純文学、ミステリー、世界モノと言ったバラエティ豊かなモノが多数あるが、やはり異世界モノがウェブ小説の枢軸となっていると言っていいだろう。
 これは物語のバックヤード以外にもキャラクターにも同じことが言える。
 ウェブ小説における主人公のコードはチートと呼ばれる、圧倒的な力を持っていることが条件とされている。例えば、その異世界においてあらゆる魔法が使えるや神様と同じ身体能力を持っているなどが挙げられる。
 基本、チートが存在すれば、ストーリー展開において“障壁”“敗北”“挫折”“悩み”“解決”“克服”と言ったプロットが描けないマイナス面がある。いや、人気ある作品はわざとそういうのを書いていないものが多い。“障壁”“チート発動”“障壁破壊”“勝利”というプロットを繰り返すことで、マイナスの存在しない心地いい物語を描いている。

 マイナス展開が存在しない物語こそが現在に求められるウェブ小説かもしれない。マイナス展開がないことが読者にとって大きなプラスになる。なぜなら、マイナス展開がないことでスラスラと読めるスキーマ――共通テーマを機能的に抽出して一般的知識として認知すること――が発動できるのである。
 ※ 読書におけるスキーマについては『わかったつもり~読解力がつかない本当の原因~ (光文社新書)』西林 克彦 (著)に書いてありますので、時間がある方は一読することをおすすめします。

 このスキーマは予め脳裏に“障壁”“チート発動”“障壁破壊”“勝利”という物語プロットが刻まれていれば、物語をスラスラ読むことができる。例えば、物理最強主人公が“障壁”『壁』を『ワンパン』“チート発動”すれば、壁は『破壊』“障壁破壊”され、“勝利”となる。
 しかし、これが普通の主人公であればどうだろうか。
 この壁を爆弾で破壊しよう“障壁”。爆弾を作るには火薬や材料が必要となる。材料は道具屋から調達し、作ってもみよう。壁を壊してみよう。あまりにも火力が弱すぎて壁が壊れない“敗北”。何処が行けなかったのだろうか“挫折”。早く壁を壊したい。イライラする“悩み”。そうだ爆弾作りのプロに聞いてみよう“解決”。強力爆弾なら壁を壊すことができるはず。やった、実際に壊れた“克服”。
 こんなグダグダ展開は最悪である。勿論、見せ方一つで面白い展開になる可能性がある。やはり、前者に比べたら前者の方が数段面白い。
 展開が早くて、すごく読みやすい。スラスラ文字が読み込める上に満足感を味わえる。もしかすると、読者が求めるのはチートではなく、プロット展開なのかもしれない。
 
 商品としての価値は、他の商品の持つコードとの差異によって生まれる。しかし、ここウェブ小説においては、その差異というのはチート能力の差異でしかなく、だいたい決まっている物語展開を読むに過ぎない。
 読者はそのスキーマを働かせ、物語を読み込んでいく。作者も読者が望むプロットを理解した上で執筆を続ける。そうなれば、作者は他のプロットを書くことは禁じ手だと考え、その物語展開しか描くことが出来ず、ウェブ小説の多様性は淘汰されていく。
 そして、一番怖いのは読者がこの展開に飽きを覚え、ウェブ小説の本質に気づかれることである。商品としての価値が失われてしまえば、今まで苦労して書いてきたウェブ小説はキャラクターの差異しかない電子の情報の集合体に過ぎなくなる。
 これを克服するためにはどうすればいいのか。それは、書くことしかない。と、まとめてみる。

読解の鋳型は利用するか、利用しないか。

 こんにちは、羽根守です。

 今日は読解の鋳型《いがた》について話していきたいと思います。

 読解の鋳型というのは、いわゆるテンプレ読みです。

 例えば、小説で起承転結があるように、評論やエッセイにも、始まり→テーマ→具体的内容→結論、という順番で書くのが良いと言われており、大半のヒトはこういう読み方で文章を読んでいるはずです。

 利点としては、読みやすい、理解しやすい。具体例の前後を見れば、作者が基軸としている論点がありますし、もしその論点がわからなくても具体例を見れば、作者の主張がわかります。

 でも、不利な点としては、その読み方を自然と意識せず読んでしまうことです。つまり、無意識に読解の鋳型を利用してしまい、本来、作者が言いたかったことと、読者が読んだ理解した文章に差異が生まれてしまうことです。作者は文章というフィールドで勝負しているにも関わらず、読者は頭にある読解の鋳型から文章を理解してしまい、間違った方向に進んでしまうわけです。

 それに加えて、読解の鋳型を利用しすぎると、文章の内容をぜんぜん覚えていない状態になるです。文章を読んでいるのに、内容が全然わからない。何度か何度か読み返して、それでも、わからない。おそらくこれを邪魔しているのは、これまで自分が経験してきたいい加減な読み方、自分自身が作り上げた読解の鋳型に苦しんでいるのだと思います。

 いい加減な読み方になるのは文をいかに早く、効率良く多く読みたい、そういう自分ではあまり気がつかない小さな欲ばりにあると思います。

 ここまで読んでくれた読者も、おそらく、私が書いている文章についてさほど覚えていないと思います。なぜなら今回私はわざと、読解の鋳型ができあがるような書き方で文章を書いているからです。あまり特徴のないような書き方で書いたわけです。

 

 さて、いつもの書き方に戻ります。

 

 手触り感スベスベな文章は内容をなんとなくわかった気がして、読んだ気分となる。読解の鋳型を無意識に使って、サラッと読んでしまって、すぐに脳から忘れてしまう。これではいけないと思いながら、これを話題にするものかと言われたら、そんな崇高な文章でもない。だからそれでいい。

 あの文章、面白かったんだけど内容が思い出せないと言うのは、この読解の鋳型でモノを読んでしまったことにあるのかもしれない。 

 けれど、読解の鋳型で読まないと情報をさばききれないのも事実。じっくりモノを考えるよりも、多くモノを読むことの方が求められる時代だ。多くモノを読んだ方がお得感半端ない。

 けれど、ただ読解の鋳型を利用するだけで内容がわからなければ、知識はモノにできない。それは血肉にならないホントの消費であり、自分を世間に身を置きたい安心感から生まれた行動にすぎない。

 ……情報を寄せ集めて、なんとなく、なんとなく、わかった気になれて、安心したい。読解の鋳型はそういう世間に追いつきたい気分になりたい欲によって、いい加減に作られてしまう可能性が高い。

 まあ、あくまで個人の感想であり、いい加減な読解の鋳型でも、モノは読める。何も読まないよりかは数段マシ、流し読み万歳だ。

 でも、練度のある読解の鋳型で読めれば、作者の意図がフルにわかり、知識もモノにできる。いい文章を何度も読み返せば、練度のある読解の鋳型は作られる、と、言ってみる。

 

 さて、今回、こんな話をしたのは、最近、ちょっとした異世界モノのラノベを書いていたからである。

 10万文字以上書いたにも関わらず、自分のPV数を見て、読者の共通認識である俺ツェーやハーレムを出さないとダメなのかと、大きく絶望している。確かに見切り発車だったが、読者が共通認識でないモノを出したらダメなのか? と、自問自答していたら、なぜか、このテーマでブログを書きたくなった。

 ……今の現代人は共通認識を話さずとも既にわかっているモノとして話している。つまり、何らかの鋳型でできたテーマを前提に話しているのではないか? では、その鋳型はどうやってできたのか? 

 と、こんなことを考えていたらこんなブログになったわけです。

 

“異世界18きっぷ”の作り方―異世界モノ短編小説をこう書いた。

 カクヨムで公開した短編小説『異世界18きっぷ』について、色々と書いていきたいと思います。このブログではこれでもか! というぐらいネタバレしまくっていますので、もし『異世界18きっぷ』を先に読みたい方はこちらのバナーをクリックしてください。だいたい18分程度で読めますので、ぜひご愛読してください。

 

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1.短編小説のテーマからどう決めたか

 今回は予め、“日帰りファンタジー”の短編小説大賞というテーマだったので、日帰りでできる旅は何なのかとと考えてみました。最初は『弾丸ツアー勇者』を閃いたのですが、これ絶対誰かやるなと思い、敢えてやめました。あとは『ドローンで異世界を覗いてみよう』とか色々と考えましたが、これは面白くないな、と、ボツにしました。

 ここで『旅なんだから列車を使うか』という発想にいたり、『日帰り旅なら青春18きっぷを使うのが、いいかもしれないな。24時過ぎたら一枚分使えなくなるし』と、“異世界18きっぷ”というタイトルと、テーマ設定が構築できました。

 

 タイトル:異世界18きっぷ

 テーマ:日帰りの旅

 

2.短編小説のプロットをどう書いたか。

 基本、私はプロット中心で物語を書いており、珍しいタイプの書き手だと思います。

 さて、今回のプロットは、3つのメインプロットから構築されています。

 

1 異世界列車の旅:起承転結の「起」「結」でノスタルジックな現実世界

 A:主人公が異世界列車に乗って旅に出る。

 B:目的を果たして帰ってくる。

2 冒険者トバの冒険:物語の枢軸で「承」と「転」でシビアな異世界ファンタジー

 A:酒場にいた魔法使いの少女フィーラとの出会い

 B:悪役の商会長、ケレードからクエスト『「星の石」の真偽性について確認せよ』が依頼される。

 C:しかし、そのクエストが実はウソだったことがわかる。

 D:クエストの手段が尽きた時に助け人と出会う。

 E:ケレードとの交渉中、助け人が「星の石」がある場所へと連れて行く。

 F:クエストをこなすが、ケレードはそれを認めない。

 G:マスターからの依頼→そして大逆転へ。

 

3 もう一つの世界のクエスト:物語の試練。コメディとバトルを織り交ぜる。

 

 A:過酷な塔『星海の灯台』の頂上へ行く。

 B:キングガーゴイルの討伐。

 C:目的の宝物を獲得する。

 

 見ての通り、メインプロットとなっているのが2のトバの冒険です。もしかすると、このメインプロットだけで異世界モノが書けたかもしれません。

 けれども、この別々のメインプロットを列車の車両のように一つにつなげることによって、全く別の異世界モノへと構築することができました。

 

 1-A:主人公が異世界列車に乗って旅に出る。

 2-D:クエストの手段が尽きた時に助け人と出会う。

 2-E:ケレードとの交渉中、助け人が「星の石」がある場所へと連れて行く。

 3-A:過酷な塔『星海の灯台』の頂上へ行く。

 3-B:キングガーゴイルの討伐。

 3-C:目的の宝物を獲得する。

 2-F:クエストをこなすが、ケレードはそれを認めない。

 2-G:マスターからの依頼→そして大逆転へ。

 1-B:目的を果たして帰ってくる。

 

 

 助け人を主人公へと置き換えるとあら不思議、3つのストーリーが1つのストーリーにまとまりました。

 まあ、実際はこんなにテクニカルに書いたわけではありません。ただ『3つの世界で移動すると、3つの話が現れる。じゃあ、先にその3つの話の根底を作れば、異世界列車がうまく橋渡ししてくれるかもしれない』と考えてました。

 意外とこれがうまくいき、3つの世界の出来事が1つの物語に収束し、「これが異世界モノの醍醐味か」と、納得しました。

 ちなみに、メインプロットから外れた筋書きは、所々会話で挟むようにしました。ぜひ、探してみてください。

3.短編小説のキャラクターをどう書くか。

 長編小説やライトノベルと違い、短編小説はキャラクターの掘り下げはほぼ無理と言っても過言じゃありません。

 基本、キャラ小説と言われるライトノベルは、サブキャラから悪役までがメインキャラクターをヨイショしています。ご都合主義とよく言われますが、小説の性格上、致し方ないと思います。

 またライトノベルの長編モノだとメインプロット以外にも、サブプロットがあり、そのサブプロットでヒロインの掘り下げや、主人公の成長などが描かれます。このサブプロットにこそ価値があります。

 しかし、短編小説ではこのサブプロットを書くのは至難の業、ましてや今回ような予めテーマが決まっているものはだいぶきつい。書けたとしても、1つ、2つぐらいしかできません。

 さて、それでは短編小説のキャラクターはどう書いたかというと、単純に、メインキャラクターをだいぶ絞りました。

 

 ・ 主人公(主人公。助け役でストーリーテラー

 ・ トバ(もうひとりの主人公。ヒーロー)

 ・ フィーラ(ヒロイン)

 ・ ケレード(悪役・狂言回し)

 ・ マスター(助言者)

 ・ キングガーゴイル(敵役・試練)

 

 6人もいれば、短編小説だとけっこうスムーズに流れると思います。

4.短編小説のチートはどう使うか?

 異世界モノの代名詞、チート。主人公自体がチートか、最強の魔法を所有しているか、それとも最強の武具を身に着けているか、などがあります。チートはこれがあれば、どんな難問でもなんとなるという安心感を与える素晴らしいものです。

 

 今回の短編小説ではどんな場所でも異世界でも渡る『異世界列車』自体をチートにしました。というより、異世界行くモノならだいたいチートじゃないという発想から来ています。

 異世界列車の能力はずばり“何処にでも行ける”非常識な乗り物。『異世界列車』の活躍は本編中で何度も出ていますのでぜひ確認してください。

5.短編小説の主人公はどう書くか?

 短編小説の主人公はたいてい殺されるか酷い目に会うイメージがあります。話が短い分だけ、あっと驚かせないといけない、インパクトがないといけない、といったことを考えてそうなるのかと思います。

 ただ、今回、日帰り旅なので、主人公が死ぬわけにはいきません。となると、主人公はテーマに沿った旅を純粋に楽しむヒトであるのが好ましいと思いました。勿論、旅が嫌いな主人公が旅に出るとかも面白いですし、知らない間に旅に出ていたと悩む主人公も捨てがたいところです。ただ、今回はストーリーの展開上、『助け人』の役割を持たせたかったから、異世界の旅慣れしている主人公にしました。

 なお、名前は青春18きっぷから青春(あおはる)カズヤ。ひねりも何もありませんが、一番ピンとくるのがこれしかありませんでした。

 

6.その他:物語の重力

 異世界モノに関して自由な反面、物語の重力を持つ何かを持たせないといけません。

 物語の重力とは話の枢軸となるもの、なぜ、主人公やキャラクターがこの場に立っているのか? と読者が思うものです。もし、この重力がなくなれば、文字や言葉が無重力状態となって、力の行き場を失い、ふわふわした状態になります。

 物語の重力となるその何か、基本、その何かは主人公の目的になると思います。

 異世界で無双する:異世界で暴れまくる。

 異世界でスローライフする:異世界でゆったりのんびり生活する。

 異世界でチートする:異世界で世界のシビアさをこじあけ、カタルシスを味わう。

 などなど、主人公の目的によって、話に重力をもたせることができます。

 

 今回のテーマである日帰りファンタジーの場合、どんな重力があるのか考えた所、けっこうあります。

 

 >異世界で日帰りファンタジーをする

 

1:異世界でのんびりと旅をして現実世界に対する英気を養わせる。

2:現実世界のムシャクシャを異世界で発散!

3:現実世界だと冴えないけど異世界だと無敵!

 

 など、日帰りファンタジーにおける物語の重力は、この現実世界と異世界の対比になると思います。現実世界のマイナス部分が、異世界に行くことでプラスとなり、物語の見栄えにもなります。

 

 ただ、今回の作品における現実世界と異世界の対比はあまりしていません。今思えばけっこうもったいないことしたなと感じています。

7.終わりに

 異世界モノ短編小説をこう書いたというテーマでブログを書きましたが、意外と書けましたね。ここまで読んでくれた方は感謝します。

 これから異世界モノ短編小説を書こうと思う方がいれば幸いですし、よし、ついでに『異世界18きっぷ』も読んでやるかと思われる方がいられたら嬉しい限りです。

 それでは、ここで失礼します。

 

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その次。その次。

 人間、“その次”を考え出すと一気に未来が閉ざされる気分となる。特に、“その次”の“その次”なんて考えたら、未来に潰される。

 例えば、今している仕事が終えたとき、その次の仕事を考える。この仕事は早めにやるべきか、それとも誰かに任すべきか。それとも、少し休んでからとりかかるなど、仕事に対する準備を考えてから仕事をする。

 そして、その次の仕事にとりかかろうとするそのとき、“その次”を考えてしまう。

――またこれをやるのか? またこれを……。 

 思考がタイムループするような感覚。消化したはずの作業が実のところ消化しきれず、胃から這い上がってくるような嗚咽と共に、気味の悪いものがこみあげてくるこの感覚。それが“その次”である。

 まあ、これが“その次”でなく、今やるものなんだなと思考を振り切れればそれでいい。しかしながら人間、“その次”というものは何度か多々出会うものだ。そのときも、“その次”なんだな、と思って、無駄口を何度も叩きながらそれをやりきるものだ。

 それを何度か何度かやりきっているその道中で、“その次”が2つ、3つ、4つと、整列して並んできてしまったとき、一気に背筋が冷えてくる。

 ――あ、あれ。

 “その次”の次に、“その次”。“その次”の後ろに“その次”。“その次”が“その次”と、次から次へと“その次”が正しく整列して、前へと向かってくる。

 “その次”は何処まで行っても果てがなく、自分が“その次”を消化しなければ、消えることはない。

 ……これが“その次”。

 合わせ鏡の真ん中に立って、際限なく増え続ける自分を見つめるような未来思考がそれ。“その次”の“その次”を考えるとまた合わせ鏡が一枚増えて、“その次”の像がまた増えるのである。

 

 たいていの人間は“その次”の“その次”なんて考えないもので、未来のことを言えば鬼が笑うと考えないものだが、無意識はなぜか“その次”を考え出してしまうことがある。生存本能なのか無邪気なのかは知らないが、そういう未来を考える。

 基本、未来を考えることはいいことだ。今より上を目指して目標を定めるのだから、“その次”について考えるのはいいことである。

 しかし、“その次”がある日、突然、『その次その次その次……』と壊れたコマンドプロトコルの如く、未来が次々へと描かれ出す。しかも、頭の中で思い浮かぶ像はすべて、今いる風景と同じ景色で同じことをやっている。やっているのだ。

 これはもう危険信号だ。これ以上考えるとノイローゼになる。思考はもう無理だと吐き気を催しているのだ。

 

 さて、ここで視点を変えてみよう。

 

 “その次”の“その次”があるということは、“その次”の“その次”まで自分はそこまで生きてそれができている。

 もしかすると、現在が底なしの状態で“その次”もそれかそれかもしれない。けれど、そこまでは、そこまでは、なんとか生きている。――そう見てみよう。

 

 プラシーボにもならないパラダイムシフトではあるが、“その次”の“その次”まで、時間ができている。無意識が動ける時間の空白を見つけてくれているのだ。

 

 ――その時間の中で何か別のことを見つけよう。“その次”から出ていくために。

 

 “その次”を考えることは今いる自分をよりよくするための思考である。“その次”に潰されないためには、いち早く、“その次”が来たと認知し、“その次”をどのように解消するか、それを考えてみよう。

 

 と、まあ、何を偉そうに。と、自分自身そう思いながらこれを書いている。まあ、夏休みの宿題を“その次”“その次”と回していたら、8月31日にその宿題を一気にやらなくはいけない事態になったことを思い出し、これを書いたわけである。(まあ、最初の科目まで宿題を伸ばしたけど)

 その次その次でできるうちはいいが、時間切れがあることをお忘れなく。時間が来ればその次がなくなるから。

 こう考えれば、“その次”は自分の心からのメッセージだと思うことができると言ってみる。

 

“ながら行為”があなたを苦しめる

 

 今日は頭から本題に入ります。

 

 ながら行為とは、本題以外の何かをしながら本題の作業をすることである。例えば、スマホを見ながら街中を歩くことがそれに当たる。スマホで情報を得ながら目的地まで歩くと、なんだか一石二鳥だと思うものだ。しかし、スマホを覗きながら歩く行為は目の視野が狭まり、足下しか見ていない。そのため、スマホを見ながら歩くそのヒトはインディジョーンズに出てくる"大きな大岩”のようなものである。

 ここまではまだいい。いや、周囲の人間にとってよくはないが、ここでは周りの人間は度外視することにする。

 ながら行為があなたを苦しめる理由は"ながら”行為が優先順位の上位に立つことがあるからである。夜、勉強中、音楽を変えようスマホを見ているとLINEの通知が来て、既読を踏んでしまい、急いで返信してしまう。それから相手は次々からメッセージやスタンプを送ってくる。それがなんだか楽しくなって返信返信していくうちに、『あ、もうこんな時間』となり、ムダな時間を過ごすことになる。これが本題が”ながら行為”と入れ替わった瞬間である。

 “ながら行為”の怖いのは知らない間に優先順位のトップに立ち、時間を食うことにある。しかも“ながら行為”は簡単にスイッチが入る行為であるため、すぐに手を伸ばしてしまいがちである。

 それではなぜあなたは“ながら行為”に走ってしまうのか。

 ――息抜きのために“ながら行為”をする。

 ――そもそも本題そのものがつまらないから“ながら行為”する。

 ――“ながら行為”が好き。

 などなど理由はさまざま。人間、壁にすき間があれば、手を入れたくなるものだ。だからこそ、作業の空きのスペースがあったら“ながら行為”をしたくなるのも納得できる。いけないと思っていても、「退屈は苦痛。だから何かをしながらやれば得するのではない」と思って、“ながら行為”をする。そして、知らない間にそれにハマるというのは様式美である。

 “ながら行為”は拡散的欲張りである。あれもやりたいこれもやりたいと欲望を拡散させて、実際にそれを行動化させる。あれもこれも意識を拡散されてば、集中力なんか失うことなんて知っているのに、なぜか意識を拡散させたがる。

 人間の脳はダブルタスクなんてできないというライフハック記事は至るところにあるのに、ついついそれをやってしまう。まるでダイエット中にお菓子を食べてしまう意志の弱いコみたいなことをやっている。拡散的欲張りによって、“ながら行為”が優先順位のトップに入れ替わって、自分自身を苦しませるのに。

 それでは“ながら行為”はどうすれば止められるのか? スマホの電源を切れば良いのか? いや、それは違う。スマホの電源を切った所で、マンガを読んだり、ゲームをしたり、テレビを見たりするのは目に見えている。退屈が猛牛のごとくうごめき、拡散的に欲張り出す。これが無意識レベルで働くのだからたちがわるい。意識的に止めてもらうには、家族や友だちに止めてもらうか、もしくはコーチングしてもらう必要がある。(まあ、コーチングレベルまで来たらある意味、依存症レベルだと思うが)

 だが、この“ながら行為”を止める秘策はある。それは作業場を変えてみることである。

 自宅で誘惑が多いからカフェや自習室で勉強するというヒトがいる。誘惑との距離を持つことによって、拡散的欲張りを遠ざけている。また、自分をその勉強する環境の中に入れることで、その環境の一つとなり、退屈を殺している。“ながら行為”を引き起こす拡散的欲張りはこのように対処することができるのである。

 とはいえ、作業そのものは退屈であれば“ながら行為”をしたいものだ。

 そこで“ながら行為”をしたくなったら、“ながら行為”そのものの優先順を落としてみるのが一つの手だと思う。スマホで音楽を聞いていたら出ている音を下げたり、友人とLINEしていたら10分おきにメッセージを送ると約束したりと、自分の中にある拡散的欲張りを発散させつつ、優先順位を落としす。“ながら行為”を触発させているのは退屈と得したい気持ちなのだから、それを治めれば拡散的欲張りはなくなるはずだと、言ってみる。

 それでも“ながら行為”が止まらないのなら近くの心療内科へと行った方がいいかもしれません。